『すもももももも 〜地上最強のヨメ〜』
2クールも引っ張っておいて、武道家の戦闘シーンが一番いらなかった。でも、それを分かった上か、日常のちょっとしたシーンや仕草に見所があったので良し。中盤になって急にパワーダウンしたけど、こういう少しだけ距離が縮まるってのは嫌いじゃない。
アニメといっても、その大半はテレビアニメである。そして、テレビアニメは番組であり、番組とは何らかの形で利益をあげることを目的としている。今やNHKで放送されていようと映像ソフトで利益をあげることが出来るので、全てのアニメはソフト化して売れれば利益をあげることが出来、多くはそのために作られていると言える。
このことは、アニメの物語を特別高尚と考えている人や資本主義的なものを低俗と考えている人やこういったことを考えたりしない人には、「確かにそうだけどと…」いった具合に辟易させるかもしれない。だが、それもまた事実である。その上でなお、人を惹き付けるのは、物語性、絵、動き、音楽、演者といった要素が、時に複雑に絡み合ったりすることによるものだろう。
さて、テレビアニメの大半は毎週30分×クール(1クール=3ヶ月)の形で放送されている。コマーシャルの効果を考えるのなら、毎週毎週視聴者を惹き付けたいのは当然だろう。その場合、連続性を持たせることが効果的だ。具体的には、物語性を持たせて、何話かもしくは全話を物語とする。そうすれば、全体を通して連続性を持つことになる。
しかしながら、物語性の有無が作品の優劣ではないし、物語性がただの思わせぶりで終わることもある。それは、物語を作ることでは失敗であろうが、個人的には、他の部分で何か気になる点があるのならば、その点の指摘を加えた上で作品を評価したい。物語は目立つし、僕にとっても、作品評価の中心として大きな割合を占めている。結局の所、物語といっても連続性の為の手法であるし、それは資本主義的な都合でもある。それならば、常に物語やそれに関する評価だけをもって作品の評価とするのは、視野狭窄な気もする。
こうやって評価の構成要素を表明しないと、評価の違いの比較が比較にならないと考えたので、今回の文章を書いた。
まあ、結局の所、キャラクター、作画、音楽、演者、その他の作品の要素は何でもドンと来いってことですけどね。

まとめ
・物語が作品に占める割合は大きいが、全てではない。よって、物語が評価に占める割合も大きいが、全てではない。
『RED GARDEN』
まず、癖のある絵柄に驚いた。その上で、こういう絵柄でちょっと現実離れした内容をやったのは挑戦的だとは思うし、見せ方としても良かったとは思う。プレスコによるものか、演者の力が発揮された場面も多かった。ただ、最後があっさりし過ぎだった。ちょっと刹那的な雰囲気があったので、こういう終わり方でも良かったが、あれだけ引っ張ってきたのだから、後日談が気になるのは確かだ。
『出ましたっ!パワパフガールズZ』第37話
Aパート、漫画家志望が描く怪力発泡少女隊Zというガールズのパチモノのガッチリした独特の雰囲気と、その印象に合わせた設定にしなければという拘りが光る。絵柄を指摘され人気漫画家になる落ちも悪くない。Bパート、ガールズが試験中の出動禁止に。試験中のそわそわがキャラクターの性格を表していて上手い。代わりに、博士とケンとピーチがどこかで見た気がする格好で出動し、意外と活躍。戻ってきたガールズに、パワパフボーイズZとしてやっていくよと言い放つ。ヒーローへの憧れが上手く表現されていた。今クールあたりから、小慣れてきたといった感じで、毎回平均して面白い。
『ケロロ軍曹』第152話
タイトル通りの『出没!アド街ック天国』のパロディーなんだけど、紹介されるランキングとか全体の雰囲気が本家の雰囲気にそっくりで、ナレーションも本家の方を起用していた。3年もシリーズをやっていながら、関連があるからこそ出来るネタのパロディーをやって、完成度も高く衰えを感じない。4期にも期待できそうだ。
『すもももももも・地上最強のヨメ 』第21話
拠り所とか、思いの先とか、〆に入っているなという内容。半蔵の報われなさと思われっぷりが目立った話。結局何も得るものがないのなら、せめてものイケメン乙も良いかなと。むしろ、毒を飲んだもも子が、片思いを自覚の上であったことの発覚の方が重要か。特に絆があったとも思えないので、どう纏めるのか。
『DEATH NOTE』第19話
松田が馬鹿で迂闊なのは、見ているこちらにとっても作中のキャラクターにとっても同じなんだけど、その馬鹿さと(orzで部屋に突入してしまうとか)今までのあっさり邪魔者が死んでしまう展開の積み重ねが相まって、置かれた危機の迫力が凄い。また、偽名である「松井」を間違えてしまうとやばいのが間違いない状況で、「松田」というサブタイトルが地味に効いて来る。松田とかミサとかの天然キャラクターが名前を言う度に、きっと言わないとは分かっていてもドキドキしてしまった。引っ掻き回すキャラクターはこういう展開で活かして欲しかったという正にそんな回。今回は、演出に加え、サブタイトルも秀逸だったと思う。
『妖逆門』第49話
人間、妖怪、それぞれの色々あった者達が、結束して一つの目標に向かっていく様。振り返る思い出。絶望から、背中を押す兄貴的存在。約束と絆。僕の語彙力では、陳腐な言葉でしか説明できないけど、こういった噛み締める様な演出が、49話も通して見てきた上であると、グッと来る。だから、その気持ちをベタとか斜に構えずに受け止めたい。
『Yes!プリキュア5』第6話
のぞみの天真爛漫さがかれんの素直さを引き出し、強がりではない意志の強さで願うことにより変身出来るまでの流れ。今回のシリーズでは特に食べている姿が強調されていて、モリモリという表現が似合う。そういう姿が人間味を強調して、そこでのやりとりが些細な談笑であっても結果を納得させるだけのものを感じさせる。とりあえず、5人揃ってバンクを省略せずに通しでやると長いが、こういう時にやっておかないと。まあ、5人なので今後の省略版バンクがどういったものになるのか気になる。
最後に、かれんはツンデレではなく、強がりで照れ屋です。
『ぷるるんっ!しずくちゃん』第22話
Aパートでは、かしまし娘風のアメの妖精が出てきて、ホワイトデーにとっておきのプレゼントがあるといって連れて行かれたら、ものを買わされるのかと思うも、自分で作れと言う。こういう最後の落とし所は、毎回為になるなと思わせて上手い。
Bパートでは、新しい先生が出てくるも、またもや天然。基本的に、天然、照れ屋、ツッコミ、置いてけ堀しか出てきませんな。
悪意が少なく、笑わせて、たまに気持ちよくさせるのが本当に上手い。
『護くんに女神の祝福を!』第21話
今更ビアトリスのせいで狙われているのだからとか、頑張って特訓したんだから何があっても大丈夫とか、言ってるキャラは安心出来ているかもしれないけど、見ているこちらは、「今更、悩むことかよ。」とか「いや、あぶないだろ。」とか思ってしまうわけで、嵐が来るんだから万全にして挑もうよと思ってしまって、この後起こる奇跡の価値を下げるのはどうかなと思った。
もっと直球で、ボーイミーツガールが良いな。って、僕がショタからお姉さんへの直球が好きなだけですけどね。
『Venus Versus Virus』第7話
色々と過去のこととか、そこから続く因縁と、この先についてが解ってきたが、そのことが果て無き欲求以外の理由で行われたとは思えず、それにしては堀下げが足りないかなと思った。世界をどうこう、命をどうこうには、そうしなければと思わせるだけの念が篭っていないと弱いかなと。最終的に日常を奪おうとするエゴとそうはさせないとするエゴがぶつかるのだろうから、なおのこと内面が見えてこないと伝わってこないかなと。そろそろ、少女が暴れるだけにしか受け取れない映像で感情を動かすのも無茶かなと思う。仮に、力技で行くとしても力不足と思います。
『ロケットガール』第3話
月面着陸は宇宙の絡んだ色々な作品で重要な役割をもって何度も出てきているが、高揚感とか動機付けとか宇宙開発といえば、といった具合で、直接的な暴力無しで進歩を感じさせてくれる歴史の貴重な瞬間として、これ程のものは他になく、何回見ても良いものだなと思った。それが話に対して上手く機能しているのなら、なおのこと。
『武装錬金』第23話
過去の延長が今であるが、互いの過去を知らない2人にとって、共通となり得るものがある。それは、今の延長にある未来だ。それがどんな形であれ、一心同体であろうという誓いを立てるのが今回の話。
一見すれば、全ては非日常的な闘いに巻き込まれ変わってしまったが、それも含めて日常であり、所々に挟まれる照れのあるやり取りが、それを一層引き立てる。気高い斗貴子さんの照れとか、真っ直ぐに意固地なカズキとの絆や、風変わりな妹やクラスメイト達との絆。そういうものに弱いんですよね、僕は。
『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』第9話
前回から続いている署名活動は、学生運動風の流れから一転して、その実現性の低さに興味や価値観の変貌といった現代へと続く心理を辿り頓挫しようとしていた。
そんな折に、新校歌の放送を乗っ取って流れるまなび達の風景。それは、今までビデオカメラ好きのマスコット的に存在していた桃葉の映像であり、その真っ直ぐで陽気な雰囲気と彼女も仲間であったことが伝わってくる。それに加え、吹溜り組の象徴である所の彼女達は、一体感や楽しみたいという欲求によって突き動かされている。
それは、現実では必ずと言って良い程に頓挫する吹溜り組の妄想でしかなく、本当は対象も小さめなのだろうが、この作品ではそこからもっと発展して、自分達の集団だけでなく、学園全体を対象とした大きなものになっている。
アニメとしては、女子校の少女達の姿を利用して間口を広げてあるが、ここでは、学園祭は青春の象徴としての意味を持っているだけでなく、誰もが参加できるものとして描かれている。本来なら、素晴らしい人々の素晴らしい人々だけを対象とした中位の規模、要は吹溜り組を対象外としたものである所の学園祭、もっといえば、青春を誰もが享受できるものとして成功させようという運動になっている。たとえそれが、いじけだろうと、妄想での憂さ晴らしによるものであろうと、疑似体験でしかなくても、素晴らしい。ゆえに、心を打つのだ。
他にも、聖桜の理事長が社会的に無価値ではないかと自問した青春を肯定出来、任せて見守ろうとする流れ。兄の彼女として砕ける愛洸の理事長とかも良かった。
『結界師』第17話
謎があるという事実が分かってきて、異変も起こり始めて、この間の不審者との関りへ発展していきそうだ。やっとこさ、謎を探るという目的ができた。今までの、しきたりがあってその中でヒロインを守ることや、美味い洋菓子を作るといった目的は、話を引っ張っていくには弱かったので、やっと序盤の説明が終わったということになるか。今後は今までの目的の継続に加え、自主的に謎や敵と闘うことになるだろう。その過程で、葛藤や挫折や努力が行われるのだろうし恋もあるだろうから、盛り上っていくだろう。ただ、今までのギャグ不発の傾向が危険ではある。
『Yes!プリキュア5』第5話
今まで、1話1人の変身を果たしてきたわけで、今回も蝶が出てくるまでの流れはそれまでの各話と似たようなもので、やっぱり単調に1話につき1人ずつ増えていって5人になって馴れ合うだけなのかと思っていたが、蝶が消滅した。そうきたか、主人公がキュアドリームでドリームコレット?だかが出てくるということは今回は夢がテーマなのだろう。それならば、5人目候補者は夢もなく現実で役割をこなしていくだけの日常を過ごしているわけで、これは理想像からすれば遠い状態にある。よって、現状では変身できないのも納得できる。次回以降に夢と向き合うようになるだろうから、それによって本作の明確な方向性が決まることになるだろう。それが、どういう形になるか見ものである。
『デルトラクエスト』は全体的に悪くない内容なんだけど、ちょっと探索や冒険の質感が弱い。
具体的には、進行している場所とか位置関係が今一つ分からない上、成長する要素や過程もなく知恵を絞りきったりもしないで、宝石の力やちょっとした偶然によって強敵を倒していく流れが辛い。いくらなんでも、典型的冒険が現代日本で現実味がないなどと言うつもりはないが、もう少し滑らかさがあっても良いかなとは思う。
「普段は話の内容やキャラクター中心で見たり語り、作画回りの話をしても瑣末なことのように扱うのに、別の作品に似たもしくは似せたと思しき描写が出てきた途端にパクリだ何だと話し出すツンデレな人との上手な話し方」

ある作品のどこかが別の作品のどこかと似たもしくは似せたと思しき場合に、それをパクリやパロディー、オマージュ等と呼ぶ。今回は主にパクリについて言及する。
まず、パクリと呼ぶ場合に、どの程度近似していればパクリと呼ぶのか。これは、パクリに言及する人の価値判断によって変動する。また、パクリと呼ぶ場合は他の二つの呼び方と比べ悪い意味を含むことが多い。その場合、「パクリそのものを程度が低いと思っている」、「パクり方が安直もしくはそう思える」、「パクられた側の作品に思い入れがある」、「パクった側の作品を良いと思っていない」、「パクった内容を効果的に使えていない」が悪い印象の主な原因として挙げられる。今挙げた主な原因だが、単にパクリもパロディーもオマージュもまとめてパクリと呼ぶ場合もあり、その場合も含め個人の感情や印象によるものであり、人によって変動する。よって、便宜的に定義はできるが厳密に定義することは難しい。では、パクリと指摘する目的は何か。「単なるパクリと指摘した」、「パクリと指摘すること自体の快感」、「パクリと指摘した上での言及」等がそれにあたる。
仮に、パクリと指摘する時には、「単なるパクリと指摘した」、「パクリと指摘すること自体の快感」という場合もあるが、そこには何らかの感情や印象が含まれているはずである。しかしながら、パクリと指摘する時に感情や印象が述べられていない場合がある。そうなると、やりとりとしては「パクリかどうか」、「パクリ自体の善悪」といった部分にしか触れられないので不毛なやりとりになる。しかるに、感情や印象による尺度で行った判断なのだから、その尺度を暗黙のままよりは白日の下に晒した上でやりとりする方が有益であろう。
まあ、言葉でかどうかはさておき、伝えようとしない考えは分からないというだけのいつもの話ですな。

まとめ
・類似についての尺度は個人の感情や印象によるものなので、人によって変動する。
・類似についての判断は人によって変動するので厳密な定義が難しい。
・「何か」より「なぜか」を述べた方が有益な場合がある。
・伝えようとしていない考えは他人に伝わらない。
『ひだまりスケッチ』第1話
芸術系の学校を舞台とした『あずまんが』って所で話自体に面白さはない。
特筆すべきは画面の作り。まず、学校の外観を奥行きの感じ難い真正面のカットから始まって驚いた。次に、部屋の中でも真正面や近距離からの俯瞰といった空間の広がりを直接感じ難いカットが続く。ついには、大きさと前後だけで奥行きのある空間を表すカットまで登場し始める。そして、1カット挟んでイマジナリーラインを跨いで空間を確認できるカット。屋内も正面中心で、移動があってもカメラの移動ではなく、カットによる移動が中心で、背景は謎の心理的壁紙といった趣。もう、どこまでやるんだと魅せられた。それと同時に、予想い所に人間の感覚は情報の欠落を保管してくれるんだなと思った。
最近のシャフト作品という表現がピッタリで期待できそうだ。良い意味で。

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