メモ-何となく-

2006年11月20日 メモ
日常において、何となく行動することはある。突き詰めれば、何となくにも理由らしきものはあり得る。一方、映像作品では、見えていない部分や見せていない部分を理由としていることがある。けれども、見ている側はそれを知らないので作り手の都合に引き摺られたように見える。また、そういう理由であろうと想像して補完することは可能だが、それが今後も見えないままや見せないままであれば、好意的解釈を行っているに過ぎず、それが出来ないものにとって楽しめない作品となる。原作がある場合や1クールのように尺が短い場合、原作による補完に頼ったり、選択によって切り捨てた部分に含まれていることがある。全話を通して制作されているのではなく、各話を制作し全話を制作している以上、この手のブレが生じることは仕方ない。それも、テレビアニメの魅力だ。
『ふたりはプリキュア スプラッシュスター』はとことん女児向けを貫くようだ。そもそも、女児向けの変身戦闘少女ものは、新しい武器や力、言い換えれば新商品を与えられることによってのみ強くなるという欺瞞を抱えている。その欺瞞に対して己の体を鍛え上げ、自分が本気で闘えるようにプリキュアをも鍛えようとした悪役がいた。彼は頑張った。しかし、プリキュアは相変わらず何の成長もせず、与えられた力のみによって闘い、勝った。これが女児向けということなのだろう。だが、次週から以前倒した敵が再登場するようなので、彼も再登場することを願いたい。キントレスキー、俺はお前の帰りを待っている。
一目惚れのように現実の時間にして一瞬の感情の動きは流れていく映像の時間においては一瞬では物足りなく感じることがある。それは、現実にある空気や質感が映像媒体によっては得られないので、情報不足となるからだろうか。
映像は音楽のように感覚に訴えるものなので、その論理性は圧倒的な情報量以上にカットの積み重ねのような時間を必要とするからだろうか。
中々くっ付かないのはリアリティーがないかもしれないがくっ付くかどうかが物語を牽引する場合、時間を重ねることが結果に説得力を持たせることになることがある。逆に、すぐくっ付ける時は映像に相当の力を持たせないと説得力が得られない。
『奏光のストレイン』は味方の足を引っ張ることはあるだろうが、すぐに露見するようなお粗末な排斥は見ていて不愉快なだけでなくツッコミたくなる。兄への執着も理由が不明でH系の妹キャラクターの執着に見えて、シリアスな設定には異質なので早めに説明が欲しい。それに、何年も宇宙戦争の続く中の訓練学校を舞台としていて、戦争に関するあれこれよりも、兄や疎ましい訓練生に対して人命に関るレベルで行う排斥が優先して展開される。これなら訓練学校やそもそも宇宙戦争じゃなくてもできる。それをわざわざやるからには、もっと舞台を活かした何かが見たい。
『銀色のオリンシス』はありがち設定にそんなに面白い話でもないが、「いつ死ぬか分からないので、悔いを残すな」と問われて、「いつ死ぬにしても、生きていれば次から次にやりたいことが出てくるから、何かしらの悔いは残る」と返した。ありがちな問いかけだが返し方がありがちでなく、この先にあるであろう死をありがちな物語の装置以上に見せようという本気が感じられた。どんな結末になろうと、こういう本気が込められていたことは作品の意義になると思う。
『武装錬金』は感覚がずれていて笑えた。明らかにおかしなことを真面目ぶってやったら面白い。それでいてギャップのような物語上に必要なことまで繋げていて上手い。たまに独特の素人芝居的な内輪受け臭のするシーンで滑りもあるが、重めのテーマに対する緩急にはなっているので、滑りが減れば面白い。
『すもももももも 〜地上最強のヨメ〜』はお約束を使いながら、ツッコミと正論でもって見せ場を作っている。笑いは滑るが控えめにやっているしツッコミが的確なのでまし。
『ぷるるんっ!しずくちゃん』は夢見がちボケに天然ボケを重ねてボケ倒してから、呆れ気味にツッコミが入るパターンが基本だけど、キャラクターの可愛さと切れ気味のボケが上手い。

・まとめ
お約束はお約束として見られるけど、間を繋ぐには滑りやすいので転ばぬ先の杖が必要かと。
『はぴねす!』はありえないけどお約束になっている要素を羅列していた。そこに新しさや崩しもなくて、そういうお約束に苦笑しているキャラクター達には、滑ってますがなとしか思えなくて残念だった。
『夜明け前より瑠璃色な Crescent Love 』のギャグの時のデフォルメは省作画と笑いを狙っているように見える。でも、滑るだけでなく、全体的に低調な本編の作画と相まって安く見える。そういう裏方事情を抜きにしても、デフォルメが笑いを演出せずに、安さの演出になってしまっている。まあ、省作画と演出の両立は難しいということか。
『ときめきメモリアル 〜Only Love〜』は御都合主義の展開自体を指摘するのは野暮だとしても、主人公への扱いがギャグで済ませてるが、ギャグになっていない。全員糞真面目にやっておきながら、ギャグで済ませる。さらに、ヒロインキャラが純粋で無垢な対応をする。そこには、全員ボケの面白さも出てないし、登場人物の誰一人がそれを指摘しないし、力を抜くことも無い歪さは、物語を作ることの結果としてラブコメという形式になっているのでなく、ラブコメという形式を使うことが物語を作ることであるかのように扱っているからか。ラブコメでも熱くならないとね。
『ネギま!?』は典型的な願望充足かつカード等の販促面や『ぱにぽに』的な遊びが目を引く。しかし、デジタル編集を活かした挑戦的な演出も多く、新しさへの驚きだけでなく確かな演出になっている。それらが技術やデータとして試行錯誤され蓄積されていくということは財産になるだろう。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』は世界観と状況の不一致が酷い。それは、将棋盤でチェスをやるような違和感に近い。しかし、どう考えても滑稽なことを真面目にやっていて笑える。そういう笑いの基本をやってくれるのが面白い。言ってしまえば、半ギャグのルルーシュですな。
『武装錬金』のOPは曲も絵もタイミングも良いが、最後の一つ前のカットでランスを2人で突き出すカズキの顔と体の位置関係が変に見える。まあ、これが正しいパースというのなら見当違いだが、そうでないのなら残念だ。
『Pumpkin Scissors』は少尉が姫でなく王子の立ち回りをして、伍長が王子でなく姫の立ち回りをして、普段はそうやって逆転の構図になっているが、いざという時に王子の役回りをする。まあ要するに、伍長に萌えたり燃えたりしたら良いってわけです。
『結界師』は愛だ恋だ以外の部分での決意や矜持が感じられない。J-POPを売るためOPやEDに使っていて出来は悪くないが、愛だ恋だだけの温い話を引っ張るにはノイタミナ枠やanimoのようなドラマ的手法を用いて作った方がウケが良さそうだ。それが無いのなら半端に少女ウケを狙いに行かず、少年向けの王道を行くのも手か。
『RED GARDEN』の絵で謎の組織の乱立とか魔物とか出てくると違和感がある。それでも、プレスコと演者の統一感のおかげか謎の多さゆえか気にはなる。

早速ですが

2006年11月4日 1話雑感
『奏光のストレイン』
よく分からないが兄らしき人物に執着する少女と、歴史的星間戦争状態の中の温い訓練学校の仲良し4人組から話は始まるロボットものだ。
前半でちょこっと仲良さそうにしていた連中が後半に味方の内通者に殺される。フィクションの場合関係性が持続的に見られない者が死んでも、その他大勢にしか見えないが、まだ許容できる方だ。次の研究所で敵の機体が無人だと確認した後に中にいると気付いて怒りに任せて突入する場面は良くない。その後、それは兄らしき人物で主人公機が大破させられる展開が控えているが、訓練学校のエリートが敵のものと思しき機体が無人なのに破壊しない理由が怒りだけでは、御都合主義が過ぎると思った。
結局はそういう所は温く隙のある作りなので、ロボットやアクション面で見られる部分に期待したいと思った。しかし、連続して放送された2話を見て、それも無理かと思った。女の論理的でない悪意の典型が延々続くのは、見ていてイライラする。反省とか贖罪とかがないままに、半端な打ち解けにならないことに期待したい。

新番組

2006年11月3日 関西の新番組
『奏光のストレイン』WOWOWノンスクランブル : 11/01(水) 24:00〜
http://www.s-strain.jp/

もう始まってますが一応追加
『XXXHOLiC』
四月一日と百目鬼の関係が深まることや運命論が中心で侑子さんやひまわりちゃんは外野に徹したという感じ。原作未完で中途終了の落とし所としては良好。アヤカシの質感やハイライトを使わないキャラクターの質感とか音楽が怪しい雰囲気を作り出していて安っぽい運命論でも納得させる力はあった。その雰囲気にモブの抽象化による雰囲気作り兼省エネが嵌っていたのも上手かった。
「物語上で大した意味はないが、キャラクターの魅力を見せるのに不可欠なシーン」は存在するのか。

・前提
仮に、作品世界で起こったことやキャラクターのような作品世界の存在が起こしたことと、その連続が物語であるとする。

まず、作品世界が存在し、何らかの物語りたいことの為に働くと見ることが来る。他方、作品世界でのシミュレートの結果として、物語が存在すると見ることも出来る。これらは、見方や作り方として異なるだけで、結果としての物語の違いに関らず、どちらも物語であることに変わりは無い。よって、物語と作品世界は一方が他方に従属するという関係ではなく、相関関係にあると見られる。
「キャラクターの魅力を見せるのに不可欠なシーン」が物語上で大した意味はないと見えるのは、「作品世界が存在し、何らかの物語りたいことの為にだけ働く」と見た場合に、「キャラクターの魅力を見せるのに不可欠なシーン」が物語りたいことの為だけに用意されていなので、そう見えるのではないか。これは、「作品世界が存在し、何らかの物語りたいことの為に働く」という関係しか見ないからそう思うわけで、前提に基づくと、全てのシーンは制作者の意図に関らず、受け手側で何らかの物語上の意味を見出す可能性がある。また、キャラクターは物語の為に働くだけでなく、物語を生み出す要素でもある。よって、「キャラクターの魅力を見せるのに不可欠なシーン」は物語上で大した意味がある。

・まとめ
一面だけで考えた場合、存在するが、他の面も含めて考えた場合、存在しない。

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