昨日、音楽についての描写の映像化による困難さについて触れたことをまとめてみよう。
仮に、「多くの人を感動させる音楽」あるとする。

・文章の場合
修飾語等で音楽を詳しく説明。出来るのは、言語的に表すこと。

・漫画の場合
演奏や歌唱者を描き、台詞等で相互補強的に説明。出来るのは、言語的かつ視覚的に表すこと。

・映像の場合(今日的に考えて、音ありとする)
演奏者、歌唱者の行動やその音楽や台詞を撮る。出来るのは、言語的かつ視覚的かつ聴覚的に表すこと。

それぞれが表せる範囲で、実際に受け手にそう感じさせ得るにはそれぞれの範囲で一定の領域にまで達していなければならない。つまり、表せる要素が増えるほど、表さなくてはならない要素が増えることになる。
例に挙げた音楽は、聴覚によるものなので、言語的な台詞や視覚的な質感や画で説明しても、聴覚的にそれらの説明に値すると感じないなら、それらの説明は嘘っぽくなってしまう。

・まとめ
フィクションをリアルに近づけたり、リアルに感じさせるのは難しい。
『NANA』のライブシーンのパワーが不足していた。
音楽による感動は、作中の人物がいくら感動したり感動したように言わせ、論理的に組み立てようとしても、最後は視聴者の感性に委ねられるものだ。話の構成上、放棄することができないので、感動とかライブの感覚とは程遠いものとなった。
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060809/ntvdcm.htm

・4クール(52話)で1話あたりの制作費が2000万と仮定
2000万×52=104000万

・DVDが4話収録で5000円と仮定
制作費の回収に必要なDVDの販売数=104000万÷0.5万=20.8万
1巻辺りの販売数=20.8万÷13=1.6万

目標売り上げに必要なDVDの販売数=130000万÷0.5万=26万
1巻辺りの販売数=26万÷13=2万

レンタル店への販売数が0.3万として、それでも1万を越える売上が必要であり、かなり厳しいハードルがスタート前から準備されていることになる。
『ちょこッとSister』で乳首や局部が映り込むであろうアングルでKEEP OUTの黄色テープで誤魔化していたのに笑った。DVD化に際して修正し易いようにした結果だろう。つまりは、確実に見せるという意思の上でのことなのだろう。そうでなければ、別のアングルでやれば良いだけなのだから。
『ハチミツとクローバー2』は止め絵の使い方が特徴的だ。モノローグと組み合わせて使われる止め絵は少し水彩画的だったりする。まあ、使い方としては漫画の決めゴマに近いと思われます。
「動いていた絵が止まる→絵のタッチが変わる→モノローグ→挿入歌やBGM」って流れが多い。同じ局のドラマでも多いパターンに近いのではないか。
『僕らがいた』は引きの時に、顔のパーツを書かないようにしている。また、引きで沢山の人物が映り込む場面では長々引きのままにしない、といった作りになっている。アニメならではの演出だろう。
『韋駄天バトルトーナメント』が熱い。
今更、MTBもないだろうと思っていたけど、一貫してきた少年漫画的手法。それが今、最高潮に達しつつある。
たとえプログラムピクチャーだろうと、本気バトルは熱い。
『XXXHOLiC』の新しいEDが面白い。
エアギターのタイミングが上手い。あと、前のEDとは打って変わったワイルドなモコナが可愛い。

『無敵看板娘』のEDも面白い。
犬の歩みがリズムに合っていて気持ちいいし、後ろ足の動きにも注目していて、これも上手い。
何ともいえない愛嬌のある犬のデザインも良い。
『まもって!ロリポップ』がやばい。
全く動いて見えないことがあったりと、ギリギリのスケジュールを綱渡りしている。
あと、これを深夜に放送している意味とか分からない。
盛り返せるのかどうか気になる。
『ZEGAPAIN −ゼーガペイン− 』が予想を超えている。
どういう落とし所に行くのか全く分からない。
好感の持てるキャラクター達が繰り広げる予想不可能な話。
それは、ただ難解というだけでなく面白さに繋がるなと思った。
『いぬかみ』のEDが面白かった。
本当に下品に下品に向かうことしか考えていないですね。
シリアスでも下品。本気で下品。
そういう本気が今必要なことではないかと思われます。
『N・H・Kにようこそ!』を見ていたら、小恥ずかかった。
それだけ、あの話に当事者性があるのか。
それが、あるのではないかと感じさせるように、上手く作ってあるのか。
といった所か。
何にしても、牧野由依演じる岬や小林沙苗演じる先輩のキャラクターは破壊力があり過ぎだ。
月曜日は3つの番組の放送が被っている。
意図的に被ることを狙っているのか、いないのかは分からない。だが、意図的に被せているのなら、それだけ競合する番組が増えたということになる。
逆に、意図的に被せていないのなら、それだけ放送枠が空いていない所にねじ込んで放送するほど、番組が増えているという事になるか。
どちらにしろ、番組の数が増えすぎていることの弊害か。それとも単なる放送局の無思慮か。
『牙−KIBA−』で流れているTCGのCMがやばい。作品の内容と対象年齢が連動しているとするならば、あの小学校低学年向けのCMは格好悪い。もしかすると、あえて格好悪くする必要があるのかもしれないが…。

異質

2006年7月29日 アニメ・マンガ
『おとぎ銃士 赤ずきん』の玩具のCMがまだない。
本編のテンポを悪くしている原因なんだから早めにCM流した方が良さそう。あと、子供向けとして異質すぎる今のCM達に気付かないほど子供が鈍感かどうか。

メモ-有意性-

2006年7月28日 メモ
僕の経験では「正面の顔」と「正面以外の角度の顔」で全く別の人だと思って気付かないことがある。
これが遠近法に忠実に書いた絵にも当てはまるとするなら、「正面の綺麗に書かれた絵」と「正面以外の角度で遠近法に忠実に書いた絵」を比べて「正面以外で遠近法に忠実に書いた絵」が「正面の綺麗に書かれた絵」より「乱れている」と感じることがあるはずで、「乱れている」と感じる「正面以外で遠近法に忠実に書いた絵」が一連の動作の途中や予備動作にあったとして、それまでも「乱れている」と言っている面はないか。
そもそも「正面以外で遠近法に忠実に書いた絵」ってどんなのよ。って、あらら。遠近法についてよく知らないことを前提に類推しているから、前提が崩れると文章自体の意味がなくなるぞ。

・まとめ
未だに、僕の描く絵のほとんどは遠近法を使っていないわけで…。
『ザ・サード 〜蒼い瞳の少女〜』の作画が乱れたとか乱れてないとか。確かに、所々惜しいなと思う不統一があるんだけど、何時もと違った配置に色使いは良かったと思う。
斜めとか上を向いているとか顔を振り向けるとか目も動かすとか3人がそれぞれ別角度のカメラを正面としているとか夜や影の暗さで負を表して夜空の星の輝きで希望を表すとか。

「乱れた」とは簡潔な表現だが、「何時もの本編と比べて」なのか、「キャラ表に忠実であろうOPと比べて」なのか、といった乱れたと見なす根拠や定義を表明せずに「乱れた」とだけ使われている言葉についてだけ議論するにも、相手の文脈上の意味がはっきりしないのに自分と同じか、一般的にそうであろうと類推した基準で議論をしてたら、unkoな議論にもなろう。

・まとめ
動きの始点と終点と中割と思しき絵とで瞳の大きさが不統一だったのは惜しい。
『イノセント・ヴィーナス』
SF作品。ロボットというかパワードスーツが普通に出てくる。全体的に動いて見えるので枚数いってそう。
特に気になったのは、エリート武装集団の1人が硝煙の臭いに気付いて撃ち殺すシーン。このシーンは「辺りの臭いを嗅ぎ出して、撃ち殺して、硝煙の臭いは簡単に消えないと言う」という流れなんだけど、今の技術では臭い自体が映像からは流れない。あくまでも、臭いが存在しているのだと感じ取れることがあるだけで、このシーンはそれを見せるには、あっさりというか手抜き過ぎる。今後の話に関わってくるエリート武装集団の凄さを表現するにしては、残虐なだけで肝心な部分で凄さを見せ切れていないと思えて残念。
SF設定のこだわりも結構だが、質感にも拘って欲しい。
絵が綺麗でよく動くだけで成り立つ話とも思えないので、ある人間を規定しある環境においた場合の行動に納得できる展開を期待したい。
『花田少年史』
最初、昔っぽさのあるタッチで始まるが、動き出した時に少し変わる。その変わったタッチは重要だろう。最初のままだと、動かした時に嘘臭くなるだろうが、かといってあまりに綺麗に見える塗りだと昔っぽさが失われるだろう。その絶妙な場所に収まるタッチに見えて、良い。
細かなデザインや発言の端々に昔っぽさがあり、またそれだけでなく、現代っぽさやフィクションといったリアリティーとは対極のものを取り込んでいる。
先が気になる。
『無敵看板娘』
タイトル通りの無敵看板娘が出てくる。外連味のあるアクションやお約束ギャグが満載で看板娘の看板娘さが楽しい。基本は看板娘の破天荒ギャグものといったところ。
注目はED。この奥から手前にのしのし来る不細工な犬のリズムが曲のリズムにあっていて面白い。最後の画面いっぱいに現れる犬の不細工だけど愛らしい姿が良い。
ギャグが滑らないことが、絶対条件だろう。今後に期待。

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