守備固め
2010年6月4日 放送中のアニメの感想とか『ハートキャッチプリキュア!』第16話
演劇部部長とファッション部部長の対決を通した対比の話。本気になるあまり、他の部員を差し置いた状況になっている演劇部と和気藹々としながらも他の部員を立てるファッション部との違いが両極になっている。中学生の演劇部にしてはモブも含めて演者がガチ過ぎるところがこの作品らしいと言えばらしい。まあ、フレッシュは前作なのでそれも良いけど、固め過ぎるのも気になる。
演劇部部長とファッション部部長の対決を通した対比の話。本気になるあまり、他の部員を差し置いた状況になっている演劇部と和気藹々としながらも他の部員を立てるファッション部との違いが両極になっている。中学生の演劇部にしてはモブも含めて演者がガチ過ぎるところがこの作品らしいと言えばらしい。まあ、フレッシュは前作なのでそれも良いけど、固め過ぎるのも気になる。
創意工夫
2010年6月3日 放送中のアニメの感想とか『夢色パティシエール』第33話
対戦相手に本戦用のスイーツの試食を依頼されたいちごは、南国の果物を使った味と見た目の華やかさやテーマの分かりやすさに圧倒される。そこで、勝つために学園内の果樹園で必要な果物を探すことになる。途中、仲間の叱咤もあって気落ちもするが、そんな中で見つけた赤い苺からイメージを得、新種の白い苺が更に膨らませる。それは、自分と同じ名前の地味でありふれた果物でありながら、新種が加わることで紅白の彩りとなって全く新しいスイーツが完成し勝利へ導く。
そんな展開が、新しいものと古いものや、華美と質素といった対比に留まらず、まさに温故知新と呼べるもので気持ち良かった。また、ありふれた予定調和の話を工夫で魅せることも温故知新と呼べる点で同調していた。
対戦相手に本戦用のスイーツの試食を依頼されたいちごは、南国の果物を使った味と見た目の華やかさやテーマの分かりやすさに圧倒される。そこで、勝つために学園内の果樹園で必要な果物を探すことになる。途中、仲間の叱咤もあって気落ちもするが、そんな中で見つけた赤い苺からイメージを得、新種の白い苺が更に膨らませる。それは、自分と同じ名前の地味でありふれた果物でありながら、新種が加わることで紅白の彩りとなって全く新しいスイーツが完成し勝利へ導く。
そんな展開が、新しいものと古いものや、華美と質素といった対比に留まらず、まさに温故知新と呼べるもので気持ち良かった。また、ありふれた予定調和の話を工夫で魅せることも温故知新と呼べる点で同調していた。
激突だ
2010年6月2日 放送中のアニメの感想とか『バトルスピリッツ 少年激覇ダン』第36話
事情などお構いなしにバトルを通して正面からぶつかって行く激突王らしいダンは素直だ。一度はバトルから逃げ出した硯もそれを受けて過去にぶつかって行くことを決断する。その上で繰り広げられるバトルの決着は負けを受け入れる形で終わる。負け方にも気を使っているところがこの作品らしく、勝っても負けても正面からぶつかって行く姿は清々しい。だから、皆がダンに感化されていくのかもしれない。
事情などお構いなしにバトルを通して正面からぶつかって行く激突王らしいダンは素直だ。一度はバトルから逃げ出した硯もそれを受けて過去にぶつかって行くことを決断する。その上で繰り広げられるバトルの決着は負けを受け入れる形で終わる。負け方にも気を使っているところがこの作品らしく、勝っても負けても正面からぶつかって行く姿は清々しい。だから、皆がダンに感化されていくのかもしれない。
メモ-王子と姫の向かう先-
2010年6月1日 アンチプロパガンダアニメに限らず王子が姫を助ける話や類似した話は多い。これは話の型といってもよい。
現状のアニメにおいては、姫を助ける王子ではなく、姫を助ける王子のような役割をする普通の少年が登場する話が圧倒的だ。受け手は普通の男女なのだから、普通の少年の方が感情移入しやすいのだろう。他方、姫も姫ではなく、姫の役割をする普通の少女である場合が多いことも同様の理由からだろう。ここまでは、別段不思議なことではない。
また、王子であれ、姫であれ、互いの恋の成就を阻む婚姻が絡んだ鞘当、幸せな国や家や身分が対立として用意され、苦しみながらも最後には互いに恋する者同士、王子と姫が結ばれる話も多い。王子と姫が結ばれること自体は楽しめるものだが、反対するからといって、簡単に国や家や身分を捨てる場合が多くはないか。駆け落ちしようと何しようと、新しい家庭を築いて暮らせる場所はありもしない楽園ではなく、結局のところ社会であり、国や家や身分に基づいているのではないだろうか。社会を破壊せずに、国や家や身分だけを破壊することは不可能だ。ならば、簡単に国や家や身分を捨てるのではなく、困難でも国や家や身分に祝福された道を探す話に向かってもよいと思うが、現実にそのような話は少ない。
このような背景には、実態を考えず、国や家や身分は固定的で窮屈なものであり、個人の自由や尊厳を奪うとの近代思想が見え隠れしているように思える。個人の自由や尊厳は天が与えるものだと謳うことは結構なのだが、国や家や身分に基づいた社会において実現させるのではなく、国や家や身分を捨て去ることで実現しようとする。結果として、幸せな国や家や身分に基づいた社会が破壊されてしまうことやそこに生きる人々の災難は、刹那的であっても幸せな王子と姫の姿によって薄まっている。
巧妙だが、これで良いのか。本当は、幸せな国や家や身分を悲劇として捉えずに、祝福され繁栄の道を歩んでいく姿が好奇ではなく高貴であろう。それこそが、天でも、国や家や身分によって与えられるものでもなく、先人の生きた歴史や伝統と近代思想とが融合した社会といえないか。
昨今は、アニメにおいて、かつてのように姫も強さを取り戻しつつある。ならば、祝福され繁栄の道を歩んでいく高貴な若者の姿を描く日も近い。それではドラマにならないというのなら、アニメの力を侮るなと言っておく。
現状のアニメにおいては、姫を助ける王子ではなく、姫を助ける王子のような役割をする普通の少年が登場する話が圧倒的だ。受け手は普通の男女なのだから、普通の少年の方が感情移入しやすいのだろう。他方、姫も姫ではなく、姫の役割をする普通の少女である場合が多いことも同様の理由からだろう。ここまでは、別段不思議なことではない。
また、王子であれ、姫であれ、互いの恋の成就を阻む婚姻が絡んだ鞘当、幸せな国や家や身分が対立として用意され、苦しみながらも最後には互いに恋する者同士、王子と姫が結ばれる話も多い。王子と姫が結ばれること自体は楽しめるものだが、反対するからといって、簡単に国や家や身分を捨てる場合が多くはないか。駆け落ちしようと何しようと、新しい家庭を築いて暮らせる場所はありもしない楽園ではなく、結局のところ社会であり、国や家や身分に基づいているのではないだろうか。社会を破壊せずに、国や家や身分だけを破壊することは不可能だ。ならば、簡単に国や家や身分を捨てるのではなく、困難でも国や家や身分に祝福された道を探す話に向かってもよいと思うが、現実にそのような話は少ない。
このような背景には、実態を考えず、国や家や身分は固定的で窮屈なものであり、個人の自由や尊厳を奪うとの近代思想が見え隠れしているように思える。個人の自由や尊厳は天が与えるものだと謳うことは結構なのだが、国や家や身分に基づいた社会において実現させるのではなく、国や家や身分を捨て去ることで実現しようとする。結果として、幸せな国や家や身分に基づいた社会が破壊されてしまうことやそこに生きる人々の災難は、刹那的であっても幸せな王子と姫の姿によって薄まっている。
巧妙だが、これで良いのか。本当は、幸せな国や家や身分を悲劇として捉えずに、祝福され繁栄の道を歩んでいく姿が好奇ではなく高貴であろう。それこそが、天でも、国や家や身分によって与えられるものでもなく、先人の生きた歴史や伝統と近代思想とが融合した社会といえないか。
昨今は、アニメにおいて、かつてのように姫も強さを取り戻しつつある。ならば、祝福され繁栄の道を歩んでいく高貴な若者の姿を描く日も近い。それではドラマにならないというのなら、アニメの力を侮るなと言っておく。
奇妙なまでの輝き
2010年5月31日 放送中のアニメの感想とか『けいおん!!』第7話
回想を挟みながら、何だか面倒な気配を漂わせつつ、今一つ心理はよく分からないままに澪ファンクラブのお茶会が意外な程の平穏と熱気を併せ持って開催される。作品の物語を辛うじて牽引する熱唱を久々に披露するための方便と言えばそれまでだが、まあ、いつもながら善人で奇妙だけど愛らしい面々を眺めるのに悪い気はしない。
回想を挟みながら、何だか面倒な気配を漂わせつつ、今一つ心理はよく分からないままに澪ファンクラブのお茶会が意外な程の平穏と熱気を併せ持って開催される。作品の物語を辛うじて牽引する熱唱を久々に披露するための方便と言えばそれまでだが、まあ、いつもながら善人で奇妙だけど愛らしい面々を眺めるのに悪い気はしない。
小爆発
2010年5月30日 放送中のアニメの感想とか『閃光のナイトレイド』第7話
歴史の転換点で、史実の重要人物を出して盛り上げられなければUNKOなので、一応いつもよりも一段盛り上がった。しかしながら、少なくとも成功を信じて行動している者を狂気が如き物言いで、後世の価値観と歴史によって、敗戦を迎える選択を間違いであると断ずるが如き展開をしているが、色々な策謀により選択肢が狭まって失敗したことをどうこう表現の仕様がない。何が歴史に新たな認識を加える意図ではないだ。アニメの力をなめるな。
おまけに、それを預言者なるオカルト的存在が行うことで、論理的反論の封殺も出来ている。まあ、超能力からして、オカルトの登場も推して知るべしか。なるほど、腐れ反日プロパガンダなり。なれば、左様な歴史の裏で敵国や仮想敵国相手に活動していた諜報員を日本の場合はどうだったかと描くことは無理か。
歴史の転換点で、史実の重要人物を出して盛り上げられなければUNKOなので、一応いつもよりも一段盛り上がった。しかしながら、少なくとも成功を信じて行動している者を狂気が如き物言いで、後世の価値観と歴史によって、敗戦を迎える選択を間違いであると断ずるが如き展開をしているが、色々な策謀により選択肢が狭まって失敗したことをどうこう表現の仕様がない。何が歴史に新たな認識を加える意図ではないだ。アニメの力をなめるな。
おまけに、それを預言者なるオカルト的存在が行うことで、論理的反論の封殺も出来ている。まあ、超能力からして、オカルトの登場も推して知るべしか。なるほど、腐れ反日プロパガンダなり。なれば、左様な歴史の裏で敵国や仮想敵国相手に活動していた諜報員を日本の場合はどうだったかと描くことは無理か。
ドンぴしゃり
2010年5月29日 放送中のアニメの感想とか『おおきく振りかぶって~夏の大会編~』第8話
今まで読み合いで勝ってきただけに、逆を突かれてあっさり行かれてしまった。本当にあっさりで、それが出来る技量のある相手だからこその部分もあって、初めて継投してくるだろう展開も厳しさ漂う。
話は原作、作画は力技の領域に入っているので安心出来るとして、演出でどう打って出るか。話だけでなく、映像の密度も高い作品はあまりないだけに楽しみだ。
今まで読み合いで勝ってきただけに、逆を突かれてあっさり行かれてしまった。本当にあっさりで、それが出来る技量のある相手だからこその部分もあって、初めて継投してくるだろう展開も厳しさ漂う。
話は原作、作画は力技の領域に入っているので安心出来るとして、演出でどう打って出るか。話だけでなく、映像の密度も高い作品はあまりないだけに楽しみだ。
線香花火
2010年5月28日 放送中のアニメの感想とか『いちばんうしろの大魔王』第7話
海とかサービスは当然として、戦闘で力強い線の絵を使った描写が繰り広げられるとは思わなかった。まあ、ED担当からすると本編に来ても不思議ではないのだが、低調とは行かないまでも、パッとしない印象だっただけに、力強い場面で力強い線を持ってくる正面突破が見られるとは意外だった。張り切り勇者が登場したところで、サービスに特化するでもなく、話の構成で魅せるでもなく、特筆すべき点とも思えないことが全体のパッとしない印象に繋がっている。
海とかサービスは当然として、戦闘で力強い線の絵を使った描写が繰り広げられるとは思わなかった。まあ、ED担当からすると本編に来ても不思議ではないのだが、低調とは行かないまでも、パッとしない印象だっただけに、力強い場面で力強い線を持ってくる正面突破が見られるとは意外だった。張り切り勇者が登場したところで、サービスに特化するでもなく、話の構成で魅せるでもなく、特筆すべき点とも思えないことが全体のパッとしない印象に繋がっている。
黒と白の彩
2010年5月27日 放送中のアニメの感想とか『たまごっち!』第31話
Aパートでは、とほほ落ちで一回限りかと思っていたアンパン刑事再び登場し、パピヨン相手に奮闘する。ゲストキャラのイケメンっちは名前がそのまま過ぎてずっこけたかと思えば、当然本筋にも絡んでくるわで、怪盗の登場する作品で過去にあった話の流れを踏襲しているのだけど、ほのぼのした感じがするところがこの作品らしい。役も含めて一回登場したキャラはモブなり話の主役なりで再登場させる優しさが良い。
Bパートは、オフのラブりっちと一緒に歩いていたテルリンにラブリンを預かったとのメールが届いたことから始まる話。別のラブリンが誘拐されたのか、はたまた狂言か、送り主の指定した場所にラブリン本人とメールを受け取る携帯電話のテルリンが向かう。一見真面目だけど、どこか滑稽な展開が面白い。まあ、大事件ってことは作品の性質上ありえないのだけど、感心させられる落ちにはなっている。
今回は、AパートとBパートで怪盗パピヨンと名探偵ラブリンでラブリンの役割が逆転しており、対比で見られるのも上手い。
Aパートでは、とほほ落ちで一回限りかと思っていたアンパン刑事再び登場し、パピヨン相手に奮闘する。ゲストキャラのイケメンっちは名前がそのまま過ぎてずっこけたかと思えば、当然本筋にも絡んでくるわで、怪盗の登場する作品で過去にあった話の流れを踏襲しているのだけど、ほのぼのした感じがするところがこの作品らしい。役も含めて一回登場したキャラはモブなり話の主役なりで再登場させる優しさが良い。
Bパートは、オフのラブりっちと一緒に歩いていたテルリンにラブリンを預かったとのメールが届いたことから始まる話。別のラブリンが誘拐されたのか、はたまた狂言か、送り主の指定した場所にラブリン本人とメールを受け取る携帯電話のテルリンが向かう。一見真面目だけど、どこか滑稽な展開が面白い。まあ、大事件ってことは作品の性質上ありえないのだけど、感心させられる落ちにはなっている。
今回は、AパートとBパートで怪盗パピヨンと名探偵ラブリンでラブリンの役割が逆転しており、対比で見られるのも上手い。
新しい波
2010年5月26日 放送中のアニメの感想とか『ハートキャッチプリキュア!』第15話
病弱な兄に代わって家を背負う生徒会長は、可愛いものが好きなのを隠し強くあろうとする。
まあ、姫が王子をやるという倒錯にあって、今回の内容そのままのサブタイトルが示すように、自分でデザインした可愛い服を着ることになる。ただ、王子が現れて姫に戻れるようになるわけではなく、家を背負いながらも可愛いものが好きな自分を肯定する、される状況にあったのだと認識する内容になっており、強さと気高さを兼ね備えた時代の次代のヒロインの姿がこの作品の方向性を表しているようだ。
病弱な兄に代わって家を背負う生徒会長は、可愛いものが好きなのを隠し強くあろうとする。
まあ、姫が王子をやるという倒錯にあって、今回の内容そのままのサブタイトルが示すように、自分でデザインした可愛い服を着ることになる。ただ、王子が現れて姫に戻れるようになるわけではなく、家を背負いながらも可愛いものが好きな自分を肯定する、される状況にあったのだと認識する内容になっており、強さと気高さを兼ね備えた時代の次代のヒロインの姿がこの作品の方向性を表しているようだ。
メモ-アニメに受け継がれる武士道-
2010年5月25日 アンチプロパガンダ今回は、アニメとはどういうものかを改めて考える。
アニメーションにおける動きとは錯覚を使った技術である。人の目は、微細な変化の付いた止まっている絵を連続で見せることで動いていると補完出来る。ないことをあるように見せるといっても良い。
物語の多くはフィクションであり、物語を表現するとなると、ありそうだけどないことをあるように見せたり、ありもしないことをあるように見せる。前者は想定、後者は妄想といったところか。これは動きのための技術が持っている本質と似ている。
物語を錯覚技術によって映像に仕上げたものがアニメーションである。実写との決定的な違いは、偽物を偽物によって本物に近づけようと組み立てている。所詮は偽物であるが、あえて偽物を本物として楽しめるところに本質がある。
アニメといえば、日本産のアニメーションを指して使われる用語として定着している。では、アニメとアニメーションの違いを考えてみる。
技術的には、秒間の枚数に差があることを挙げる場合が多い。最初期においては、金銭上仕方なかった面もあるが、現在では部分や全体をあえて少ない枚数で表現している側面がある。従って、枚数の違いというよりは、枚数を超えた緩急の付け方の違いと考えられる。
物語的には、漫画やライトノベルによる原作媒体の豊富さや世界的に見て物語における制限の少なさが挙げられる。独自の発展を遂げた原作媒体の豊富さは確かにあるが、映像であるアニメにする際には、緩急の付け方が違っている場合が大半であり、翻訳的な改変が必要である。だが、物語で表現されている内容に共通して見られるものがある。それは、あえて明文や題目にせずとも、内なるものから来る感覚でことにあたれることだ。この内なるものとは、権威や法でもなく、神や仏のように超越した存在でもなく、人としての己から来る人道である。悪逆を出来るのにあえてしないことは、アニメーションよりはアニメの本質に近い。また、人を殺せる武器を持ちながら人を殺さずに活かすこととも似ている。これは、武士道的な心である。従って、アニメには武士道が受け継がれていると考えてよい。
世界文明において希有な道徳観を持つ日本だからこそ、日本でアニメーションの動きや演出の技術が向上していく中で独自性を持ちアニメーションとは異なる意味合いでアニメと呼ばれるものになったと考えられる。
アニメーションにおける動きとは錯覚を使った技術である。人の目は、微細な変化の付いた止まっている絵を連続で見せることで動いていると補完出来る。ないことをあるように見せるといっても良い。
物語の多くはフィクションであり、物語を表現するとなると、ありそうだけどないことをあるように見せたり、ありもしないことをあるように見せる。前者は想定、後者は妄想といったところか。これは動きのための技術が持っている本質と似ている。
物語を錯覚技術によって映像に仕上げたものがアニメーションである。実写との決定的な違いは、偽物を偽物によって本物に近づけようと組み立てている。所詮は偽物であるが、あえて偽物を本物として楽しめるところに本質がある。
アニメといえば、日本産のアニメーションを指して使われる用語として定着している。では、アニメとアニメーションの違いを考えてみる。
技術的には、秒間の枚数に差があることを挙げる場合が多い。最初期においては、金銭上仕方なかった面もあるが、現在では部分や全体をあえて少ない枚数で表現している側面がある。従って、枚数の違いというよりは、枚数を超えた緩急の付け方の違いと考えられる。
物語的には、漫画やライトノベルによる原作媒体の豊富さや世界的に見て物語における制限の少なさが挙げられる。独自の発展を遂げた原作媒体の豊富さは確かにあるが、映像であるアニメにする際には、緩急の付け方が違っている場合が大半であり、翻訳的な改変が必要である。だが、物語で表現されている内容に共通して見られるものがある。それは、あえて明文や題目にせずとも、内なるものから来る感覚でことにあたれることだ。この内なるものとは、権威や法でもなく、神や仏のように超越した存在でもなく、人としての己から来る人道である。悪逆を出来るのにあえてしないことは、アニメーションよりはアニメの本質に近い。また、人を殺せる武器を持ちながら人を殺さずに活かすこととも似ている。これは、武士道的な心である。従って、アニメには武士道が受け継がれていると考えてよい。
世界文明において希有な道徳観を持つ日本だからこそ、日本でアニメーションの動きや演出の技術が向上していく中で独自性を持ちアニメーションとは異なる意味合いでアニメと呼ばれるものになったと考えられる。
技の切れ味ここにあり
2010年5月24日 放送中のアニメの感想とか『会長はメイド様!』第6話
馬鹿正直な素直さを持った五つ子に男気を見込まれ塾として担がれる話。そういえば、メイド喫茶のバイトは硬派な印象を崩すので秘密だったとか、改めて思い起こさせる部分もあって、碓氷の告白やキスに無茶な行動と仲が進展しそうな内容もあったが、まあ、同じ顔が五つ並んで画面狭しと動き回る絵が面白く、ほとんどそれが全てと言って良い。
外野に掻き回させて、本筋を炙り出す伝統的な手法だが、外野が面白く表現されているからこそのものであり、最初の三人組や碓氷の登場から一貫して上手い。
馬鹿正直な素直さを持った五つ子に男気を見込まれ塾として担がれる話。そういえば、メイド喫茶のバイトは硬派な印象を崩すので秘密だったとか、改めて思い起こさせる部分もあって、碓氷の告白やキスに無茶な行動と仲が進展しそうな内容もあったが、まあ、同じ顔が五つ並んで画面狭しと動き回る絵が面白く、ほとんどそれが全てと言って良い。
外野に掻き回させて、本筋を炙り出す伝統的な手法だが、外野が面白く表現されているからこそのものであり、最初の三人組や碓氷の登場から一貫して上手い。
醒めていく
2010年5月23日 放送中のアニメの感想とか『HEROMAN-ヒーローマン-』第7話
人外に改造されて規格外の力を手に入れて正気のまま悪党に力を貸すニック、対照的に守るべき妹の存在に動かされ正気を取り戻して味方になろうとするウィル、一方が人道に背いた報いとして死んだであろう結末に改めて道徳の脆さを感じた。つまりは、根っからの悪人ではない者には、死に際して華を持たせてやる優しさが、もっというと、華となる己の内からの良心に動かされてしまう姿勢がない。
これは、価値観の明確な差異だ。素直に楽しめないのは価値観の違いであり、譲れない頑固さは大人ゆえの矜持でもあるが、認めて伝統を譲る程柔じゃない。日本的で無いことは分かっていたのだけど、制作は日本なのだから、どこか期待してしまう自分のお人好しさを再認識させられた。
人外に改造されて規格外の力を手に入れて正気のまま悪党に力を貸すニック、対照的に守るべき妹の存在に動かされ正気を取り戻して味方になろうとするウィル、一方が人道に背いた報いとして死んだであろう結末に改めて道徳の脆さを感じた。つまりは、根っからの悪人ではない者には、死に際して華を持たせてやる優しさが、もっというと、華となる己の内からの良心に動かされてしまう姿勢がない。
これは、価値観の明確な差異だ。素直に楽しめないのは価値観の違いであり、譲れない頑固さは大人ゆえの矜持でもあるが、認めて伝統を譲る程柔じゃない。日本的で無いことは分かっていたのだけど、制作は日本なのだから、どこか期待してしまう自分のお人好しさを再認識させられた。
何だかな
2010年5月22日 放送中のアニメの感想とか『イナズマイレブン』第81話
はあ、やっぱり韓国なわけねと思ったら、アフロディや他のエイリア学園の面子も居て、ナショナルチームって何やろねと。まあ、イナズマジャパンが勝つのは予定調和だから、さして問題は無い様に思えるのだけど、変に媚び始める可能性も無きにしも非ず。規模が拡大していくことで、ぼろが出ることがないように願いたい。粋がっているチーム相手だと、良い試合にはならないので、さっさと勝って世界へ。
はあ、やっぱり韓国なわけねと思ったら、アフロディや他のエイリア学園の面子も居て、ナショナルチームって何やろねと。まあ、イナズマジャパンが勝つのは予定調和だから、さして問題は無い様に思えるのだけど、変に媚び始める可能性も無きにしも非ず。規模が拡大していくことで、ぼろが出ることがないように願いたい。粋がっているチーム相手だと、良い試合にはならないので、さっさと勝って世界へ。
続くのに楽しいぞ
2010年5月21日 放送中のアニメの感想とか『四畳半神話大系』第3話
今度は、サイクリング同好会の響きから男女仲良く走る会かと安易に入ってしまったが、中身はガチでさあ大変。競技用の新車を買って、しまなみ杯なる本四縦断レースに出場することになったものの、そこは謎の一段によって新車が奪われ、ママチャリで参加することになった。紆余曲折を経ての完走から地元までの疾走は流石に凄いと思った。何だかんだでパターンのようで、少しずつ新しい要素が加わる変化もある。目の前にぶら下がっている幸運へ向かい物語が終えると想像出来ることが核となって繰り返しを魅力的にしている。
今度は、サイクリング同好会の響きから男女仲良く走る会かと安易に入ってしまったが、中身はガチでさあ大変。競技用の新車を買って、しまなみ杯なる本四縦断レースに出場することになったものの、そこは謎の一段によって新車が奪われ、ママチャリで参加することになった。紆余曲折を経ての完走から地元までの疾走は流石に凄いと思った。何だかんだでパターンのようで、少しずつ新しい要素が加わる変化もある。目の前にぶら下がっている幸運へ向かい物語が終えると想像出来ることが核となって繰り返しを魅力的にしている。
リニューアル
2010年5月20日 放送中のアニメの感想とか『怪談レストラン』第20話
初期の三本立てとEDの分離状態から、CパートとEDクレジットが込みの状態になり、今回からA、Bパートの二本立てに変更になった模様。まあ、24分だと二本立てに落ち着くのは『クレヨンしんちゃん』でも既にあったことなので、やはり尺が大事だなと。
Aパートでは、福引で当たったテレビが未来が映る予言のテレビで、最後には不幸に見える予言が映し出される。技術の変化と共に怪談も変化しているが、要は予言を行う何かの話であり、核となる部分は特に変化していない。
Bパートでは、現実に影響が出る悪夢を見てしまい。寝る度に友人が続きを見てしまう話。何か怪現象が起きると同じような世界の怪談を参考にして話を広げたり解決の糸口を見つけるショウ君の使いやすさを感じさせる内容だった。
夜も眠れない程怖くはないが、想像力を刺激して適度に怖い匙加減となっていることに感心させられる。それに、二本立てになって一本の時間が長くなったため、導入や怖い部分も長くなっていて上手い。まあ、美味いといった方がレストランらしいか。
初期の三本立てとEDの分離状態から、CパートとEDクレジットが込みの状態になり、今回からA、Bパートの二本立てに変更になった模様。まあ、24分だと二本立てに落ち着くのは『クレヨンしんちゃん』でも既にあったことなので、やはり尺が大事だなと。
Aパートでは、福引で当たったテレビが未来が映る予言のテレビで、最後には不幸に見える予言が映し出される。技術の変化と共に怪談も変化しているが、要は予言を行う何かの話であり、核となる部分は特に変化していない。
Bパートでは、現実に影響が出る悪夢を見てしまい。寝る度に友人が続きを見てしまう話。何か怪現象が起きると同じような世界の怪談を参考にして話を広げたり解決の糸口を見つけるショウ君の使いやすさを感じさせる内容だった。
夜も眠れない程怖くはないが、想像力を刺激して適度に怖い匙加減となっていることに感心させられる。それに、二本立てになって一本の時間が長くなったため、導入や怖い部分も長くなっていて上手い。まあ、美味いといった方がレストランらしいか。
何だってー
2010年5月19日 放送中のアニメの感想とか『たまごっち!』第30話
Aパートは、茶の間でGOTCHIMANを楽しんでいると、とうもろこし型のUFOがやってきて、たまごっち星の住人を全てままめっちに変えてしまう。ままめっちで画面全部を埋める絵がそれだけで笑えてくる。元に戻すためにパーソナルクイズに挑戦するのだが、クイズの内容が微妙なものばかりで面白い。仕舞いには、ままめっちが巨大化してキングコングの様に暴れだすわで、落ちも凝っていた。まあ、ラブリっちに次ぐ萌えキャラままめっちを堪能出来るお話でした。
Bパートは、久しぶりのオフにラブリっちが母の日にプレゼントをしようとする話。行く先々で不運に見舞われ、思うように楽しんでもらえない中で、一緒に出掛けられて楽しいとか気持ちだけでも嬉しいと言ってくれる優しさ。最後に懐かしの公園に行って思い出の話で〆る。色々考えさせられる良い話でした。
Aパートは、茶の間でGOTCHIMANを楽しんでいると、とうもろこし型のUFOがやってきて、たまごっち星の住人を全てままめっちに変えてしまう。ままめっちで画面全部を埋める絵がそれだけで笑えてくる。元に戻すためにパーソナルクイズに挑戦するのだが、クイズの内容が微妙なものばかりで面白い。仕舞いには、ままめっちが巨大化してキングコングの様に暴れだすわで、落ちも凝っていた。まあ、ラブリっちに次ぐ萌えキャラままめっちを堪能出来るお話でした。
Bパートは、久しぶりのオフにラブリっちが母の日にプレゼントをしようとする話。行く先々で不運に見舞われ、思うように楽しんでもらえない中で、一緒に出掛けられて楽しいとか気持ちだけでも嬉しいと言ってくれる優しさ。最後に懐かしの公園に行って思い出の話で〆る。色々考えさせられる良い話でした。
ここでか
2010年5月18日 放送中のアニメの感想とか『GIANT KILLING』第6話
リーグプレスカンファレンスに私服で参加するという分かりやすい型破りに始まって、野心のある監督が居ないと言われる中で、覇気のあるにらみをハーモニーで表現している。合理の作品にあって、あえて不合理なハーモニーを使っているが古臭いこともなく、ここぞの使い方だった。決戦前夜的な話ではあったが、チーム戦略の上位にある理念がよく分かる話であった。
リーグプレスカンファレンスに私服で参加するという分かりやすい型破りに始まって、野心のある監督が居ないと言われる中で、覇気のあるにらみをハーモニーで表現している。合理の作品にあって、あえて不合理なハーモニーを使っているが古臭いこともなく、ここぞの使い方だった。決戦前夜的な話ではあったが、チーム戦略の上位にある理念がよく分かる話であった。
うんこ終了のお知らせ
2010年5月17日 放送中のアニメの感想とか『ハートキャッチプリキュア!』第14話
母を亡くしている同級生と母の日に絡んだ話。花はカーネーションで色々つぼみの店での絡みありと普通といえば普通。同級生の幼い妹が抱く複雑な気持ちをベテランの演者で押さえる所からも、絶対に外せない気負いを感じさせる。良かったなと思える落ちを付けて、心の種のうんこ描写も止めたようでシリアスな内容だった。かと思えば、次回は「なんと!生徒会長がキュートな服着ちゃいます!!」と何を言ってるんだと思うサブタイトルでも分かる落差の付け方が面白い。
母を亡くしている同級生と母の日に絡んだ話。花はカーネーションで色々つぼみの店での絡みありと普通といえば普通。同級生の幼い妹が抱く複雑な気持ちをベテランの演者で押さえる所からも、絶対に外せない気負いを感じさせる。良かったなと思える落ちを付けて、心の種のうんこ描写も止めたようでシリアスな内容だった。かと思えば、次回は「なんと!生徒会長がキュートな服着ちゃいます!!」と何を言ってるんだと思うサブタイトルでも分かる落差の付け方が面白い。
メモ-ミクロとマクロが交差する日常-
2010年5月16日 メモ日常アニメや空気アニメと呼ばれる作品を考える。
各話数毎をミクロ、全体や編をマクロと定義する。
各話数毎の話に必要な要素は日々の話題であり、全体や編に必要な要素は日々の話題の集合である一定期間や一定期間の話題、テーマ等である。
伏線は各話数毎の話を構成するミクロレベルのもの、全体や編の話を構成するマクロレベルのものがある。また、伏線とは情報量の統制である。
映像作品に共通しているのは、1分間に2分間の放映をするような、実際の時間の流れには逆らえないこと。つまり、映像や表現の技術が向上しようとも、単位時間の情報量に限界がある。
長編の一部を短編に仕立てることは可能である。時間の制約がある以上、アニメに限らずドラマを見せる場合には、一般的な手法といってよい。
一方で、短編の羅列は長編ではないが、時間としては一定期間を長編と同等に仕立てることも可能である。各話毎の話は独立しているが、登場人物等は同じであり、各話毎の独立は緩い。
昨今の日常アニメや空気アニメと呼ばれる作品は、後者に属する作品が多い。
長寿作品の作品内での時間は現実の季節に合わせる形でしばしば巻き戻っている。しかしながら、日常アニメや空気アニメでは時間は巻き戻らない。あくまで、過ぎ去った日々として蓄積される。この蓄積こそが、現実の放映した時間と同等の時間であり、視聴者の過ぎ去った時間と同調するものである。つまり、蓄積される時間やそれを通して設定を統一して見せることが、日常や空気であるといえよう。
恐らく、物語がないの物語とは、マクロレベルの話だろう。そして、ミクロでは面白いのだが、マクロとして面白くない場合、マクロとはミクロの集合であり、ミクロの手法としては正しくても、マクロの手法としては正しくないのだろう。これは、合成の誤謬的なことだ。
各話数毎をミクロ、全体や編をマクロと定義する。
各話数毎の話に必要な要素は日々の話題であり、全体や編に必要な要素は日々の話題の集合である一定期間や一定期間の話題、テーマ等である。
伏線は各話数毎の話を構成するミクロレベルのもの、全体や編の話を構成するマクロレベルのものがある。また、伏線とは情報量の統制である。
映像作品に共通しているのは、1分間に2分間の放映をするような、実際の時間の流れには逆らえないこと。つまり、映像や表現の技術が向上しようとも、単位時間の情報量に限界がある。
長編の一部を短編に仕立てることは可能である。時間の制約がある以上、アニメに限らずドラマを見せる場合には、一般的な手法といってよい。
一方で、短編の羅列は長編ではないが、時間としては一定期間を長編と同等に仕立てることも可能である。各話毎の話は独立しているが、登場人物等は同じであり、各話毎の独立は緩い。
昨今の日常アニメや空気アニメと呼ばれる作品は、後者に属する作品が多い。
長寿作品の作品内での時間は現実の季節に合わせる形でしばしば巻き戻っている。しかしながら、日常アニメや空気アニメでは時間は巻き戻らない。あくまで、過ぎ去った日々として蓄積される。この蓄積こそが、現実の放映した時間と同等の時間であり、視聴者の過ぎ去った時間と同調するものである。つまり、蓄積される時間やそれを通して設定を統一して見せることが、日常や空気であるといえよう。
恐らく、物語がないの物語とは、マクロレベルの話だろう。そして、ミクロでは面白いのだが、マクロとして面白くない場合、マクロとはミクロの集合であり、ミクロの手法としては正しくても、マクロの手法としては正しくないのだろう。これは、合成の誤謬的なことだ。