目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

OPやEDは音に合わせた絵であり、絵に合わせた音であり、許容出来る基準以上の素朴な優しさを価値観に持ったキャラクターが、流れと整合を崩さず、情景描写と心理描写を織り交ぜ問題解決する過程で共感出来る運用哲学で素朴な優しさを体現し、公開情報と非公開情報の管理が出来ていて分かりやすく、一定期間連続放送されるアニメ。

以上が、現時点で僕の考えた最強のアニメの結論。単に僕が褒めてきたアニメの共通点を繋げただけともいえる。作り込みの出来不出来に絞った見方であり、許容出来るだけの水準を満たしているかどうかが僕にとっての好みの差である。
一見すると当たり前のことがまとまっただけだが、改めて言語化するという目標は達成した。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・設定や伏線から想像しやすいことは分かりやすさ
・意味付けは必ず行える
・描写不足は公開情報と非公開情報の区別を難しくする
・公開情報と非公開情報の区別が容易なのも分かりやすさ

今回は、分かりやすさについて掘り下げる。
設定や伏線を張るなどした上で想像は出来るが、作品の今後の展開は非公開情報だといえる。他媒体の原作で既に展開が分かっている場合を別として、情報は常に受け手側が少ない非対称状態である。では、非公開情報の分かりやすさとは何か。一つは、設定や伏線から想像出来ること。別の見方をすると、公開と非公開の区別を明示的に見せること。
意味の無い表現であっても、意味の無い表現だと意味付けられることを考えると、何らかの意味付けを行うのは当然といえる。よって、意図的な非公開情報なのか、描写不足によって公開情報が非公開情報になっているのか分からない見せ方は分かりにくいといえる。また、それまでの見せ方と意味付けの整合がなされていないと、腑に落ちない印象を受ける。つまり、受け手にとっての公開情報と非公開情報の区別を容易にすることも分かりやすさであるといえる。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・年を取って分かるようになったのは、理解の仕方が論理寄りになったから
・子供の理解の仕方は直観寄り
・感性の方向が違うだけでどちらも審美眼
・受け手の審美眼を侮らずに、作り手が矜持を持って作ったからこそ今のアニメがある

僕の考えた最強のアニメ-分かりやすさと芸術性は大衆食堂と高級料理店-
http://69541.diarynote.jp/201102221836157528/

上記リンク先では、年を取って凝っている部分が分かるようになったと述べた。だが、子供だからといって凝っている部分が分からないかというとそうでもない。大人の理解の仕方が経験や論理寄りで、子供の理解の仕方が直観寄りかの違いがあるだけで、どちらも審美眼を持っている。ゆえに、子供向けだからといって、粗く作っても気付かないから良いだろうと考えず、分かる範囲で芸術性が凝らされている。先人達のそうした努力が、色々な伝統と混ざり合って発展してきたのが今日のアニメである。ひとえに、作り手の矜持といえよう。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・芸術性の高さは作品の価値を高めはするが、低くても楽しめる
・お洒落かぶれは、凝っている部分が分かるようになったとか、好みが変わった程度の話
・流れと整合や伝統的価値観が、受け手にとって許容出来る基準以上かどうかが大事

子供向けで分かりやすい内容とか玩具や関連商品が作中に登場する1話完結4クール作品は低俗で格好悪く、芸術的に凝っていて1クールとか2クールでティーンや大人向けの作品は高尚だとかお洒落で格好良い。よく陥りがちな勘違いである。さながら、大衆食堂のありふれた料理と高級料理店の至高の料理とを比べるようなもので、どちらにも良さがある。芸術性が高まれば、作品の価値が高まる場合もある。しかしながら、凝っていなくて分かりやすく楽しめる作品、凝っている部分を分かって楽しめる作品、どちらも楽しめる作品に変わりない。年を取って凝っている部分が分かるようになったとか、好みが変わってきたに過ぎない。どちらにせよ、流れと整合や伝統的価値観が受け手にとって許容出来る基準以上であれば楽しめる。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・キャラクターの愛着を偶像やキャラクターの使うものを商品に組み込んだ
・現在はキャラクターの登場する作品そのもののビデオグラムが商品となっている
・商品を宣伝することは同じ、ただ作中に商品が登場するかどうかが異なる

キャラクターへの愛着は、見た目や行動に対し生まれる。そこから発展して、愛着のあるキャラクターの偶像を所持するとかキャラクターが所持しているといった属性、更には愛着のあるものの所持と商品を組み合わせたことが、子供向けアニメから始まった日本のテレビアニメの特徴だ。遊びの興奮が、世代に合わせて用意されていると考えると分かりやすい。今は、作品のビデオグラム自体が商品として成立している。つまり、商品を宣伝するのは同じで、作品の中に商品の宣伝が出るか出ないかの差だといえる。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・やるなら勝つ方が分かりやすい見所になる
・力や運を持ったものは、やるべき時にやらなければならない
・武道の精神を重んじることと似ている
・力に運用哲学が伴うから、結果に共感出来る
・分け隔てなく行えることが肝要

僕の考えた最強のアニメ-お人好し大国と普遍的価値観-
http://69541.diarynote.jp/201102050741175022/

上記リンク先で述べたように、優しさを持ってやるべき時に行動出来るかどうかは重要だ。そして、勝つ方が分かりやすい見所になるので、主人公が大いなる力や奇跡を呼び込む運を持っている場合が多い。優しさを持ってやるべき時に行動出来るからこそ、共感出来て奇跡を呼び込む運を論理的に受け入れられる。逆にいえば、主人公が大いなる力や奇跡を呼び込む運を持っているならば、やるべき時に行動しなければならないともいえる。武道において、鍛えた肉体や磨いた技以外に強い心が求められるのと似ている。力が強いだけでは駄目で、正しい行いが出来てこそといった哲学を受け継いでいる。勿論、問題の規模や対象が友人や仲間は元より、世界の見知らぬ人々のためであっても区別しないことが肝要だ。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・素朴な優しさは誰もが知っている価値観
・誰もが知っている価値観に基づいた行動だから共感出来る
・とはいえ、流れと整合は必要
・万人受けする価値観ゆえに王道と定義する

メモ-伝統的価値観-
http://69541.diarynote.jp/201005080032414074/
上記リンク先で述べたように、お人好し大国ともいえる我が国において、伝統的に表現されている素朴な優しさがある。要は、義によって己を律することが出来るか、必要な場面で義によって動けるかということだ。突然の雨から世界の危機まで、様々な問題や問題と呼ぶに値しないことに対し、価値観に基づいた流れと整合を見せる。玩具の販促から、ほのぼの学園もの、果ては世界の危機やサービスシーン満載の作品まで、広く好印象にまとめている。そこでの素朴な優しさという価値観は、万人が知っているものであり、素朴な優しさに基づいているお人好しだからこそ共感出来て奇跡が起こっても許容出来る。よって、王道と定義する。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・名前が同じでも媒体が違えば別の作品である
・世界が同じでも媒体が違えば別の作品である
・アニメ自体の良し悪しは、アニメ自体の内容による
・媒体に合わせた変更は、他媒体でも共通して使える表現かどうかによるところが大きい

作品を語る上では、原作や他媒体同時展開の同名作品があろうとも、アニメであればアニメ本編の内容のみを語るのが筋だ。しかしながら、原作や他媒体同時展開の同名作品に触れたのであれば、比較することは可能である。原作や他媒体同時展開の同名作品で表現されていることが、アニメでは表現されていないことで、分かりにくくなったり印象が変わることはあり得る。もしくは、逆の場合で原作の雰囲気を損なう表現であったら、改変が過ぎると批判されるのは避けられない。いずれの場合も、原作や他媒体同時展開の同名作品との整合を比べているのであって、アニメ自体の良し悪しに対する評価は、アニメの中で整合が取れているかいないかであろう。名前こそ同じだが、媒体が変われば表現方法や印象が変わるのは当然であり、原作や他媒体同時展開の同名作品と同じ世界の話であっても整合が取れていない場合もある。媒体に合わせた変更が多いか少ないかは、他媒体でも共通して使える表現がなされているかどうかによるところが大きい。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

まとめ
・映像媒体は情報量が増えるため印象が増強される
・分かりやすいゆえに、不快感を与える場面も分かりやすくなる
・媒体によって方法論が異なる

映像媒体は、小説や絵画や漫画を連続した絵に起こし、音の連続である声や音楽を複合した媒体だ。よって、別媒体の原作付きの場合、媒体の違いによる印象の違いがある。例えば、小説の場合だと、文字によって表現された言葉の印象だけだったものが、映像化によって視覚や聴覚への情報が加わる。漫画の場合だと、コマの間の動きや状態の情報が加わる。結果として、印象が増強される。嬉しいものは、より嬉しく、悲しいものは、より悲しく、迫力のあるものは、より迫力を、残酷なものは、より残酷にといった具合だ。分かりやすく表現出来るがゆえに、みだりに嫌悪を与える可能性に十分配慮する必要がある。つまり、同じものを表現するのであっても、媒体によって方法論が異なる。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/


まとめ
・整合とは流れにおける原因と結果
・実際の因果関係の有無が問題ではなく、有るように見せることが重要
・流れを作って整合を持たせられれば、因果関係が有るように見せられる


僕の考えた最強のアニメ-流れと整合-
http://69541.diarynote.jp/201101152036036286/
上記リンク先では、流れと整合について述べた。今回は補足を兼ねて別の視点から考える。

例として、努力と成功を表現した場合を考える。
努力したから成功した。これは、必ずしも成立するとはいえない。
成功したのは努力したからだ。これは、必ずしも成立するとはいえない。
厳密には必要条件も十分条件も成り立たないが、物語としては人間の願望を含めて、因果関係を見出そうとする命題だ。つまり、努力と成功は必要十分条件を持っているように受け取られており、流れとして捉えられている。成功の規模に応じて、適切な努力を用意することは整合に必要であり、努力のための設定を用意することもある。よって、設定や設定に基づいた結果を表現するには、流れと整合において、別の設定を要求すると考えても良い。大事なのは、実際に因果関係があるのではなく、あるように感じさせるための流れと整合を用意することだ。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/


まとめ
・表現には時間と同様に流れがある
・表現における時間は、並べ方や速さが自在に描ける点が現実と異なる
・架空に現実を与えるために流れと整合が求められる


僕の考えた最強のアニメ-表現と時間について-
http://69541.diarynote.jp/201101071016522472/

上記リンク先で既に述べたように、表現とは時間を描くものだ。よって、時間が流れを持つなら、表現も流れを持っていると考えられる。現実の時間は、物理的に一定方向に連続して流れている。しかしながら、表現においては、過去や個人の印象によって流れ方を変えた時間と作品内の時間を同列に受け手の現実の時間に並べることが出来る。そして、並べたものを架空の時間軸上の出来事として認識出来る。
例えば、現実においては、2年前5歳だと、現在は7歳でないと時間の流れが変だ。だが、表現においては、2年前5歳で、現在は3歳が可能だ。勿論、これは設定さえ用意すればの話であって、何も設定がないのなら変に感じる。つまり、設定という表現が、描かれる時間の流れの中で整合されて描かれる必要がある。時間も含め、架空のものを描くのだから、現実のように感じさせるには、現実のような流れと整合が必要だ。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/


まとめ
・映画は一回、テレビアニメは複数回
・時間を共有することで感動を生み出す
・感動することは同じでも、一回の時間と期間を経て生み出されるものとは異なる
・単行本と雑誌の関係に似ている
・視聴の習慣化と習慣に対する愛着といえる


時間は一回全部を見るのに掛かる30分とか60分とか90分とか120分とか。記憶媒体による分割視聴を例外と考えると、時間の拘束はあるが、見終わるまでの時間一回に限られる。
期間は週一で一クールとか二クールとか四クールとか。記憶媒体による分割や連続視聴を例外と考えると、放送中の一定期間を通して個々の話数一回を見る時間が必要だ。
映画だと60分から120分の間位。一般的なテレビアニメの一回30分よりは長い。映画は連作の場合でも制作期間が長いため、毎週とか一定期間といった視聴にはならず、印象は現在上映済みの個々の作品に対して向きやすい。
一方で、テレビアニメは一回30分が一般的で映画よりは短い。テレビアニメは基本的に毎週放送であるため、作品全部を見るのに一定期間の視聴が必要となる。結果、個々の話数の印象が合わさって作品の全体の印象へと向く。
両者に共通しているのは、人生の一定の時間を作品の放送と共有して感動へと繋げる点だ。異なるのは、個々の話数毎といった単発の時間に対する印象と、個々の話数を一定期間分集めたシリーズ全体の印象とだ。つまり、テレビアニメにおいて、個々の話数は映画的だが、作品全体となると映画よりも沢山の時間を分割して視聴していることになる。よって、テレビアニメ独自のものだといえる。例えるなら、長年の愛着とでもいうべきか。もしくは、単行本と雑誌と考えると分かりやすいかもしれない。いわば、テレビアニメのような一定期間の連続放送の視聴は、続けることで習慣化して習慣に対しての愛着が湧いてくる。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

以前書いた内容
http://69541.diarynote.jp/201008182049518169/
の拡張が今回の内容

まとめ
・表現とは時間の描き方
・時間全部か、時間の切り取りかは大して関係ない
・人間は、実際の関係の有無にかかわらず二者に関係性を見出そうとする
・描くとは、描かないで想像を喚起することでも出来る
・芸術性が高まると分かりにくくなる
・商業として、多くに訴える分かりやすは大事
・制約によって描けなかったことで、描かないで描くことが追求出来た


およそ全ての表現において、時間は逃れられない要素であり重要だ。
絵画の場合、瞬間を一枚に。漫画の場合、瞬間の連続を複数のコマに。映像の場合、瞬間であるショットの連続を複数のカットに。音楽の場合は、演奏時間に対し音をどう置くか。文章の場合は、作品内時間を切り取り、読み手の読み時間に対し文字でどう置くか。
共通しているのは、いわゆる行間や前後にあたる部分が受け手の想像力によって埋められる点だ。また、時間全てを描いたか、切り取った時間かに限らず、前後を想像することで関係性が見出せる。それは、関係の有無にかかわらず、二者に関係性を見出そうとする人間の習性を活かしたモンタージュ効果を考えると分かりやすい。つまり、全体のどこまでの部分を描くのかとは、全体のどこまでの部分を描かないのかとほぼ同義である。
芸術的に洗練された表現は、受け手の多くに分からせるのが難しくなる。反対に。商業的には受け手の多くに分からせることが重要だ。描き過ぎると芸術性が失われ、描かなさ過ぎると商業性が失われると考えると分かりやすい。対して、予算面と技術面に商業として利益を上げることが加わり、適度な芸術性と商業性を兼ね備えていった結果に今日のアニメがある。
目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/

物語の要素は大きくまとめると以下の三つ。

・情景描写
小物や風景といった背景原画上のもののみならず、設定や世界観といったものを形作るあらゆるものを見せる。

・心理描写
ある場面でのあるキャラクターの心理。所作やカメラワーク、色や図形、説明台詞やナレーション、心の声として口パクのないOff台詞等で表現される。

・問題解決
物語の多くは、問題の発生と、問題に対する反応や解決を見せる。絶対に必要な訳ではないが、分かりやすい見所なのは間違いない。むしろ、ないと物語らしく感じないことも多い。
はじめに
http://69541.diarynote.jp/201101050106553898/

表現と時間について
http://69541.diarynote.jp/201101071016522472/

時間や期間が生み出すもの
http://69541.diarynote.jp/201101081542476197/

流れと整合
http://69541.diarynote.jp/201101152036036286/

必要条件、十分条件で見る努力と勝利の因果関係
http://69541.diarynote.jp/201101251652597369/

映像化による印象の増強
http://69541.diarynote.jp/201101291935001523/

物語三大要素
http://69541.diarynote.jp/201101061623263463/

原作や他媒体同名作品との関係
http://69541.diarynote.jp/201102011609098174/

お人好し大国と普遍的価値観
http://69541.diarynote.jp/201102050741175022/

僕の考えた最強のアニメ-力と運用の哲学-
http://69541.diarynote.jp/201102130158086591/

キャラクターへの愛着やその発展系
http://69541.diarynote.jp/201102201939147597/

OPやED
http://69541.diarynote.jp/201102211415359424/

分かりやすさと芸術性
http://69541.diarynote.jp/201102221836157528/

分かりやすさと非公開情報
http://69541.diarynote.jp/201102281601041123/

受け手の審美眼と作り手の矜持
http://69541.diarynote.jp/201102232215288192/

おわりに
http://69541.diarynote.jp/201102281614413374/
僕は、これまで飽きもせず沢山のアニメをリアルタイムで追ってきました。その中で面白いと思った作品の共通点や特徴を再考して、僕の考える最強のアニメを暫定的に結論付けようと思いました。不定期になると思いますが、暇な人はテーマ「僕の考えた最強のアニメ」を追っかけてみて下さい。なお、後の内容を受けて前の内容を変更する場合があると思われますが、あくまでまとめながら推敲の過程も含めて提供するものとお考え下さい。また、学術的に既に定義されているものは考慮せず、独自に定義して考えます。
以上、予告篇、おわり。

目次
http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/
okm

この日記について

日記内を検索