卑劣漢が言うところの負け犬の遠吠え
2006年9月3日 唯一神ある作品の状況やキャラクターへ付与されたものを隠喩として見た場合、それが都合の良い状態であるからといって、その作品を好む者がそれを望んでいると心理分析もどきでメタ言及されることがある。
その時言及する側というのは、既に自意識の問題や状況から脱しており、過去の自分に言及するかのように言及する者であることが多い。
そして、言及される側は自意識の問題や状況から脱してはおらず、この先それを脱するか脱せない状況に直面するだろう。
要するに、言及する側はどこまでも彼岸から言及し、言及される側は此岸から彼岸へ渡れる保障や能力を、言及する側ができたのだから全ての者ができるだろうという想像の下にのみ担保され、好きである自分とその自分の社会的な評価との板挟みに追い込んでいる。これは、下品で卑劣な行為だ。
加えて、言及する側が自意識の問題や状況から脱していない者の場合、自虐的開き直りや未経験者が経験者の様に一般論を語っているとして、軽んじられる。また、自己陶酔や開き直りとは違う視点で好んでいる者がいた場合には当てはまらず、言いがかりでしかない。
作品が好まれる理由への言及は批評行為だろうが、その作品が好まれる理由に関連した個人の思想や状況にまで言及する行為が批評行為と言えるのか。
・まとめ
このような行いは私的な会話で行うだけなら問題ない。しかし、公共に発信するには、無責任な言葉だ。よって、そういう行いをする者は地獄の火の中に投げ込む者だ。
その時言及する側というのは、既に自意識の問題や状況から脱しており、過去の自分に言及するかのように言及する者であることが多い。
そして、言及される側は自意識の問題や状況から脱してはおらず、この先それを脱するか脱せない状況に直面するだろう。
要するに、言及する側はどこまでも彼岸から言及し、言及される側は此岸から彼岸へ渡れる保障や能力を、言及する側ができたのだから全ての者ができるだろうという想像の下にのみ担保され、好きである自分とその自分の社会的な評価との板挟みに追い込んでいる。これは、下品で卑劣な行為だ。
加えて、言及する側が自意識の問題や状況から脱していない者の場合、自虐的開き直りや未経験者が経験者の様に一般論を語っているとして、軽んじられる。また、自己陶酔や開き直りとは違う視点で好んでいる者がいた場合には当てはまらず、言いがかりでしかない。
作品が好まれる理由への言及は批評行為だろうが、その作品が好まれる理由に関連した個人の思想や状況にまで言及する行為が批評行為と言えるのか。
・まとめ
このような行いは私的な会話で行うだけなら問題ない。しかし、公共に発信するには、無責任な言葉だ。よって、そういう行いをする者は地獄の火の中に投げ込む者だ。
現実と虚構の区別が付かない者にとって、リビドーに直結すること以外で、例えば、物語を楽しむこと等は出来るのだろうか。(ここでいう楽しむとは快不快以上のものを指す)現実の何かや、現実に条件を加えてシュミレートした場合のリアリティーというかリアリズムを楽しむことは、現実と虚構の区別が出来ていなくては不可能ではないか。
また、虚構を現実にしようとすることや、できると思ってしまうことの内、犯罪に直結することや不快に感じるものを問題としているのに、そうでないものと一緒に現実と虚構の区別が付いていないと言っているだけではないか。それは、虚構の中でも便利なものや、役立つものを製品化する行為は歓迎されることからも明らかだ。本当に、現実と虚構の区別が付かない者が、なぜ、虚構を現実に反映させようとするのか。既に虚構で叶っていることなのだから、それで満足出来るのではないか。それならば、現実と虚構の区別が付いているからこそ、虚構を現実に反映させようと出来るのではないか。
虚構に刺激されたと思しき者を、体よくレッテル張りするだけの専門家や分析家よ。いい加減にしたまへ。
・まとめ
ぼろいことをする者は、地獄の火の中に投げ込むものだ。
また、それに踊らされるものも同様である。
では、この文章を書いた私はというと……。地獄行きですな。
また、虚構を現実にしようとすることや、できると思ってしまうことの内、犯罪に直結することや不快に感じるものを問題としているのに、そうでないものと一緒に現実と虚構の区別が付いていないと言っているだけではないか。それは、虚構の中でも便利なものや、役立つものを製品化する行為は歓迎されることからも明らかだ。本当に、現実と虚構の区別が付かない者が、なぜ、虚構を現実に反映させようとするのか。既に虚構で叶っていることなのだから、それで満足出来るのではないか。それならば、現実と虚構の区別が付いているからこそ、虚構を現実に反映させようと出来るのではないか。
虚構に刺激されたと思しき者を、体よくレッテル張りするだけの専門家や分析家よ。いい加減にしたまへ。
・まとめ
ぼろいことをする者は、地獄の火の中に投げ込むものだ。
また、それに踊らされるものも同様である。
では、この文章を書いた私はというと……。地獄行きですな。
フィクションがどうとか糞つまらんこと
2006年7月23日 唯一神現実逃避装置にあたるフィクションを楽しむ行為は全て現実逃避行動であり低俗なのか。
・現実逃避装置にあたるフィクションとあたらないフィクションの違いが解らない
この最重要である定義が不明。
・何らかのフィクションを楽しむという行為は現実の己の当事者性を省みることなく行えるのか。また、行えないのならその理由は。
これも言及されていない。
・誰かが何かを楽しむということと自己を正当化するという行為とが等価になる理由
定義なし。
・そもそも、現実逃避とはどういうことを指すのか
一般通念や常識、もしくは、ある学問上の入門レベルの概念であることを理由にか、頑なに言及なし。
未定義の上に、個人的な感覚によるものだけで何かに言及することが論だとか品評だという奴らは論理を弄ぶ悪党なり。
「面白くないとか」、「価値を感じないとか」、「こんなものを楽しんでいるお前達は自分が現実逃避していることに気付いてもいない低俗で、真理の探究や求道の気持ちもないと思う」とか「こんなことにも気付かないお前らは何なのだ(恐らくは低俗であるとか下であると見なす為に)」とか「素直に自分の身の丈にあった人生の選択を行っていれば、そんな現実逃避装置に引っかかることはない」といったことを難しそうな物言いで誤魔化して高尚そうに書き綴る。
こういう感情を表現したいのなら、そのまま書けばいいんだよ。
それを、あえてつまらない文章で書く奴らは地獄の火の中に投げ込まれろ。
って、私が書いているこの文章はそのつまらない文章以下の文章なんだけどね。
というわけで、私が地獄の火の中に行くことは確定しました。
・まとめ
論理的に展開しただけでは論理的な文章にはならない。文章内の用語やその概念の定義をしなければ透か透か。
見下そうが勝手だけど小賢そうなふりしてそういうことを言うのはやめよう。
その素直になろう言説に習うなら、罵詈雑言をそのまま書けばいいんじゃないかな。
・現実逃避装置にあたるフィクションとあたらないフィクションの違いが解らない
この最重要である定義が不明。
・何らかのフィクションを楽しむという行為は現実の己の当事者性を省みることなく行えるのか。また、行えないのならその理由は。
これも言及されていない。
・誰かが何かを楽しむということと自己を正当化するという行為とが等価になる理由
定義なし。
・そもそも、現実逃避とはどういうことを指すのか
一般通念や常識、もしくは、ある学問上の入門レベルの概念であることを理由にか、頑なに言及なし。
未定義の上に、個人的な感覚によるものだけで何かに言及することが論だとか品評だという奴らは論理を弄ぶ悪党なり。
「面白くないとか」、「価値を感じないとか」、「こんなものを楽しんでいるお前達は自分が現実逃避していることに気付いてもいない低俗で、真理の探究や求道の気持ちもないと思う」とか「こんなことにも気付かないお前らは何なのだ(恐らくは低俗であるとか下であると見なす為に)」とか「素直に自分の身の丈にあった人生の選択を行っていれば、そんな現実逃避装置に引っかかることはない」といったことを難しそうな物言いで誤魔化して高尚そうに書き綴る。
こういう感情を表現したいのなら、そのまま書けばいいんだよ。
それを、あえてつまらない文章で書く奴らは地獄の火の中に投げ込まれろ。
って、私が書いているこの文章はそのつまらない文章以下の文章なんだけどね。
というわけで、私が地獄の火の中に行くことは確定しました。
・まとめ
論理的に展開しただけでは論理的な文章にはならない。文章内の用語やその概念の定義をしなければ透か透か。
見下そうが勝手だけど小賢そうなふりしてそういうことを言うのはやめよう。
その素直になろう言説に習うなら、罵詈雑言をそのまま書けばいいんじゃないかな。