『クレヨンしんちゃん』の「東西南北 HIPでホイ!」が始まって数年目にして初めて東西南北が当たった。
「東西南北 HIPでホイ!」とはデータ放送で参加するプレゼントありのミニコーナーであり、あっち向いてほいの要領で東西南北に対応する4色のボタンから選ぶ。当たれば3点、外れても1点。現在は3ヶ月で3点以上と7点以上のプレゼントに応募する系式になっている。
しかし、『クレヨンしんちゃん』は結構な頻度で特番で放送が飛ぶことがあり、3週間飛ぶなんてこともある。録画とはいえ毎週見ている私がやっと3点1回当たる程度だ。これに毎週テレビを付けてリアルタイムで参加する必要もあることを考えると、アニメのプレゼントコーナー史上で最も過酷かもしれない。
『GOGOたまごっち!』になって下膨れ系キャラのねえねっちが加わった。先日、たまごっち本体の方で見た目が変わるシステムに合わせて激痩せする回があった。落ちとしては、恋に部活に色々頑張っている間に自然に痩せたけど、また健康的に美味しいものを食べてリバウンドしてツヤツヤしているというものであった。
太っていることも激痩せも肯定も否定もせず、ダイエット志向が高まる世相に対し、子供の内から食べることや太っていても愛らしくて幸せにしている様を好意的に受け止める内容で、販促作品でありながらも受け手に対する意識で格の違いを見せ付けられた。
販促の変身アイテムから卒業して自力で夢を叶えようとしたり、可愛い記号として痩せているために無理にダイエットしなくても良いんだよと見せる。自分達の販促に対しメタ的に否定しているとも取れる内容を楽しくまとめて来ており、夢現の内に売り逃げするような銭勘定の先にある後年見返した際に思い出としての思い入れ以上の何かがあって欲しい。そんな願いと矜持を感じた。
『たまごっち!』が『たまごっち!~ゆめキラドリーム~』になっての新たなる挑戦。


まとめ
・従来の玩具販促アニメの変身とは玩具で困った場面を解決する専門家になること
・『たまごっち!』の変身は変身する専門家がランダム
・満足な状況が与えられるのではなく、与えられた状況で満足を生み出そうとする
・満足を与えるための道具を売る玩具販促アニメで、満足な状況を与えないのが挑戦的


少女向け作品において、変身という要素は定着している手法といえよう。変身とは、玩具として売る道具を使って、困った場面に役に立てる専門家になることである。専門家とは、怪我人が居る際のレスキューや医師や看護師のように、職能によって困った場面を解決するものである。
一方で、『たまごっち!~ゆめキラドリーム~』における変身は少し異なる。ゆめきらバッグなるカバンを使い、色々な職業や職業と呼ぶには少し変わったものまで変身する点は従来の変身と変わらないのだが、変身する専門家がランダムであり、変身内容によらず知恵を使って解決する点で異なっている。一例として、本作の学校では多目的授業があり、芸能クラスで漫才の課題が出た。これに対し、女優を目指すキャラは嫌がる。それを解決した際の変身は宇宙飛行士であった。宇宙飛行士となって宇宙遊泳ネタを盛り込んだ漫才を行い、笑いの大切さを気付かせたのである。また、別の回では店の中で居なくなったペット捜索を人魚に変身して解決した。たい焼きそっくりのペットだったので店の前の海でたいやきくにんになりたかったようでそこに上手く嵌った体である。大抵は一見して解決出来る専門家にはならないのだが、クリスマスプレゼントを贈りたい回では、上手くサンタガールに変身出来たこともある。最近では、見習いマジシャンのタネに困っている場面でまさかの漫才師と来た。
つまり、必要な時に必要な専門家に変身出来ることもあるが、一見関係なさそうな専門家に変身してしまっても何とかなるはずだ何とかしようと知恵と勇気でぶつかっていくことで解決する。満足な状況が与えられるかどうかではなく、与えられた状況で最善を尽くし満足を生み出そうとする姿勢を礼賛している。満足を与えるための道具を売る玩具販促というある種の欺瞞に対し、新しい話の作りで挑む本作の挑戦は続く。
アンサイクロペディアのノリですな。(3年を目安に一部漏れているが)長く続いているアニメの美点がある意味よく分かる、かもしれない。


『サザエさん』
一見すると何のことはないサザエさん(現代女性の平均は分からないがかなりの家事能力)が実家で二世帯暮らしで主婦をしながら、時々父親と一緒になって弟のカツオを叱るだとか、近所のどうでもいい事件に首を突っ込んだり、調子に乗って厚かましい態度をとっても窘められることなく良かった体で終わる。サザエはジャンケンという東洋の拳法の使い手でもあり、暫く前から毎回視聴者との熱い闘いが繰り広げられているとの噂もある。家電は東芝、そんな日曜日の悪夢的作品だ。

『ドラえもん』
結構前に様子が変わったかと思いきや、絵柄が毒気たっぷりの原作に近づいて、汚いはずのジャイアンの声が綺麗になっているとか、青ダヌキのまた君かとかの厳しい言い回し、スネオに自慢されている時のテーマとか、ジャイアンの虐め方とか、静香ちゃんのお風呂の湯気の卑猥さ等が薄まっている。流石アニメ大使。これなら、いじめっ子の保護者でも子供に視聴を推奨出来そうだ。

『アンパンマン』
主人公のアンパンマンは正義の味方らしい。毎日パトロールと称し飛び回っており、パトロール中にはやたらと食べ物に縁がある。大抵の場合、敵役のばいきんまんが食べ物を独り占めしようとするので叩きのめして懲らしめる。酷い時は4,5人掛りで懲らしめる癖に、愛と勇気だけが友達といいつつ、仲良しが沢山なヒーローである。世界一牛乳と合うことはいうまでもない。その敵役のばいきんまんであるが、彼は両親と暮らしておらずいつも小腹を空かせており、頂戴やありがとうがいえないようなある種の生得的問題を抱える児童が如き存在である。彼が大抵の回で暴れて、映画では世界の危機まで招くのである。この作品はそれをぶっ飛ばすカタルシスの英才教育である。仮に暴力的なゲームが暴力性を助長する説を信じるのであれば、いわんやこの作品はといったところであろう。人の親としては子供を安定させる装置があれば楽なのだが、我が子にそういう子供を虐めない様な躾を施す必要があるかもしれない。

『ちびまる子ちゃん』
まる子の家は、仕事のよく分からない父親、ヒス気のある母親、頓珍漢で窘められる祖父、地味な一言が刺さる祖母、学校での辛さから妹のまる子に嫌がらせしがちの姉で暮らしている極めて中流の家庭である。本人は極めて羨ましがりであり、卑しさも兼ね備えている。大抵は母親に我慢を強いられるので、案外将来的には我慢強い大人に育つのではないだろうか。彼女が拗ねている時やキャラの感情が爆発している時(特に母親の怒りが炸裂している時)のテーマは疾走感があって気持ち良い。他人の長所よりも短所を中心にキャラ付けされている印象なので、灰汁の強いとか癖の強いと評すべきキャラが多い。

『クレヨンしんちゃん』
主人公の野原しんのすけは、5歳児に相応しい揚げ足取りではあるが、かなり鋭い感性を持っている。30代にして新築一戸建てを建てられる万年係長の父親、社会経験があるため主婦の溜飲を下げるだけに留まらない感性を持ち、鉄拳制裁も行う母親、0歳児にして既に宝石やイケメン好きのおばさんの魂が宿った妹、拾ってきた多才の雑種犬と暮らしている。子供の初々しさの裏側に隠れる純粋な悪意によって、大人の建前を抉り辱める笑いに関してはこの作品は群を抜いている。子供に悪影響が出るというのは、この作品において建前を抉られている大人が概ね持っている器量を持ち合わせていないか、あるいは元々家庭や子供が抱えていた問題が表面化することへの不安といえるかもしれない。

『ポケットモンスター』
主人公のサトシはポケモンなる獣をゲットしては使役し、世界一の使い手となるべく旅をしている。相棒のピカチュウは獣ながらも作中切っての可愛らしさがあり、サトシの命懸けのラブコールに答え終始デレ状態にある正ヒロインである。他にも、数多くの可愛らしいポケモンと出会いゲットしたりする。基本的には、ポケモンはレベルアップと進化をすることで強く逞しく成長する。彼が進化させるポケモンは大変偏っているが、これは隠しパラメータの可愛らしさが進化後に一定値を下回るからである。つまり、進化させるのは元々の可愛らしさが一定値を下回っているポケモンだけである。これは最初の研究所で手に入る火属性のポケモンに多い。
他の特徴的なこととしては、サトシは新しい地方を旅する毎にヒロインを取っ替え引っ換えしていると見られており、視聴者から反感を買っている。しかしながら、彼は生粋のズーフィリアか戦闘狂なので女の子には興味が無いので安心して大丈夫だ。また、サトシは新しい地方を旅する度に痴呆のような症状を呈するが、これは彼が脳に重大な問題を抱えており、記憶は彼の帽子や衣服が補助しているゆえのことである。つまりデザインが変わると蓄積がリセットされるのだ。どうか、アホだの舐めプだのと罵声を浴びせないでやって欲しい。

『名探偵コナン』
主人公の工藤新一は、高校生探偵である。幼馴染であり将来の鬼嫁化が確定的に明らかである毛利蘭から逃れたかったところ、怪しい男を追っていた際に都合よく変な薬を飲まされ半ズボンの似合う体を手に入れた。人生をやり直せたら、そんな普遍的願望を叶えるのがこの作品だ。その後は江戸川コナンという親御さんの良識を疑いかねない偽名を名乗り、結局は毛利蘭の家に居候することとなる。
彼女の父親毛利小五郎は元刑事の探偵であり、推理小説における探偵よろしく、歩けば事件に遭遇する。コナンとなった新一と一緒に行動すれば、その確率は飛躍的に上昇する。また、事件に首を突っ込んでは司法解剖に掛かる費用を浮かせようとするお調子者な一面を持ったコストカッターでもある。事件は主にコナンが麻酔で小五郎や同じように調子の良いキャラを眠らせ、変声機を通して推理を披露し解決する。これは、事情を把握した近所の変態発明家の現代科学の粋を集めた発明品の賜物である。トリックについてはコナン以外にはほとんど分からないことから考えても、作中で露呈していない事件の多くは心臓麻痺だかで処理されているのであろう。

『遊戯王』
強カードに次ぐ凶カードが飛び交うのがTCGとしての遊戯王である。アニメにおいては、下位互換としか言いようのないカード、ところにより強カードといった具合で調整チームがいるのか怪しいデザインのカード群が中途半端に乱舞する。基本的には、次々と現れる敵が世界に悪影響を与えることを狙っており、デュエルを通してそれを阻止するというのがこのシリーズのお約束だ。物語を押していたかと思いきやそれにに沿ったデュエルにはなれないデザインのカードやそれを使う敵が大挙して押し寄せてくるので、お笑いに終わることが多い。だがそれも、アニメ制作陣がカードのデザインに対する決裁権を有していないゆえの避けがたいことなので暖かく見守ってあげて欲しい。合言葉は「遊戯王にしては頑張っている」だ。

『ワンピース』
まず、前振りが長い作品ですので、初期の前振りでもまどろっこしいと思う方にはお勧めできません。主人公のルフィは海賊王を目指す少年ですが、悪党をぶちのめす振る舞いから、一見すると海賊らしくない印象を受けますが、自分が気に入った輩の悪行や失策は見て見ぬ振りをするので、立派な海賊といえます。また、糞強いので、ワンパンで勝てますが、適度に追い込まれたり、苛々を溜めてからでないと放てないという舐めプチックでドラマチックな性格の持ち主です。ストレスの多い現代人にお勧めの作品といえます。なお、この世界ではおっぱいが大きくないとメインを張れないので、貧乳属性の方には難しいかもしれません。

『NARUTO』
主人公のナルトは複雑な境遇でごちゃごちゃとグレておりますが、良家の生まれの少年が人生のレールに反発している程度のことなので、その内まともになりますので気長に見守りましょう。また、ライバルのサスケ君も複雑な境遇に置かれており、何かに付けてどうしてこうなったと思うような行動を取りますが、長期連載の犠牲になったので寛大に見守ってあげましょう。同様に、ヒロインのサクラについても、未だにサスケに入れ込みつつも成長していくナルトもキープするというどこかで見たような話になっておりますが、ビッチと罵声を浴びせずに思春期の少女特有のワルに惹かれているだけだと思ってあげましょう。大体は長期連載による痛いファンへの作者の嫌がらせの犠牲になったのです。その点、疾風伝以降のアニメ版では、アニメオリジナルが本編に生きてくる作りを上手く出来ている分だけましといえます。

『銀魂』
黒船でやってきたのは宇宙人だった。でもって降伏しちゃった。そんなパラレル明治を舞台に攘夷志士だった主人公の銀さんが、よろずやと称して新宿でちょっと温まり過ぎて脳が膿んでしまったかのようなドタバタを繰り広げる。ロボットアニメで培った畳み掛けるような掛け合いを笑いに替え、たまにシリアスになったかと思いきや、恥ずしさのあまり大体は台無しにして笑いにするのがこの作品だ。「ぎ」をはっきりいわず金魂っぽく聞かせるという高度に低度な下ネタから一点、最近は原作ネタを使って堂々と金魂、金魂と連呼するという音響演出で最終着地点を調整する作風を生かした作り方が極まっております。下らない下ネタに大笑いしたことがある人には中々に噛み合う作品といえるかもしれませんね。

『ふたりはプリキュア』
「努力・友情・勝利」は少年向け作品で多く見られた要素だが、この作品において普通の女の子が当たり前に身近な人達、延いては世界中の笑顔を守るために立ち向かう努力をし、友達と一緒に闘い、悪を浄化し勝利することで復活の狼煙を上げた。
まず、同じ学校や同級生、幼馴染としての接点を持ち、絆を深める日常のあることが重要である。一人の力には限界があるのだ。次に、選ばれし力という名の玩具を与えられるとしても、力を自覚し自発的に闘おうとする意思を持たなければ変身出来ず、諦めないで敵に向かっていかなければ勝つことが出来ない。いざ鎌倉の意思なくして闘いぬくことは出来ぬ。最後に、罪を憎んで人を憎まない心で悪を浄化しなければハッピーエンドにはならない。悪とは相対的な価値観であるため浄化を持って赦しを与えよ。
抑圧された暴れたい衝動は悪と闘う力に変え、赦すことで浄化と称し命を奪うような現実世界の歴史とは無縁であるのがこの作品だ。近年定番化したEDのモーションキャプチャーのCGは安っぽくなく可愛らしいという領域に足を踏み入れている。
褒めましたが、結局の所は、妖精とかいうバンダイの手先に与えられた玩具で変身して闘いつつ、何やかんやと可愛らしい関連商品を売りつける域から脱してはおりません。加えて、最近は商品点数が増加して集めるのも一苦労となっておりますので、我慢を学ばせるのに最適ともいえます。

『バトルスピリッツ』
キャラ同士の掛け合いの合間にバトル。掛け合いの匙加減とバトルやカードの名前や効果といったデザインとの同調という『遊戯王』の弱かった部分を見事に補強したことで台頭したものの、調子に乗って低迷してしまうような可愛い一面もある。バトスピにおいては、ライバルと可愛いヒロインと半ズボン(ショタ枠)の存在が欠かせない。ライバルや半ズボンを掘りそうだったり、ヒロインとチュッチュしそうでしなかったりしつつ、強力なドラゴンでぶっ飛ばすバトルジャンキーとして覚醒していくのが、正しいバトルスピリッツのあり方といえよう。バトルでのスピリットのCGは中々のものであり、特にドラゴンの格好良さや低コストスピリットの可愛らしさが際立っている。流石、サンライズ必勝のリーゼントの友達で始まった作品だけはある。

『イナズマイレブン』
懐かしの『キャプテン翼』を下地に主にそのゲーム版の更新ともいえる作りなのがこの作品だ。必殺シュートにばかり目が行きがちだが、ボールコントロールをカット割逃げずにしっかりと描かれている点を挙げておきたい。『キャプテン翼』の無茶苦茶だったサッカーについてはしっかり更新されているが、なぜか物語の展開についてはパッチが必要な状態となっている。サッカーの裏で回りくどい陰謀を巡らせて世界を牛耳ろうとする連中がボウフラの如く湧いてくる。そんな、まるで訳の分からないピタゴラスイッチとでも評すべき陰謀論で世界が回る。これは他の日野原作作品にも見られる傾向ある。
地味なキャラやヤムチャ的キャラもしっかり努力して結果を残していた内は良かったが、シリーズを重ねる毎に人気者ばかりが活躍する様相を呈している。相変わらず、物語の展開についてのパッチがないことも挙げておきたい。まあ、何やかんやと気になる点はあるが、しっかりとしたアニメーションで相手チームよりもボールを相手のゴールに沢山シュートすれば良いので分かりやすい。

『たまごっち!』
え、たまごっちってまだ売ってるの。はい、左様でございます。いつの間にやら復権し、それなりに女児向け商品として定着しております。宇宙のどこかにある不良在庫の倉庫、もといたまごっち星のたまごっちタウンを舞台に可愛らしいたまごっちの可愛らしい日常が描かれております。最近は復権だかマンネリのために、出荷用の倉庫、もとい別の街に舞台を移しました。また、本作品はお前らの知らない演者の可愛らしい演技を見せてやろうという非常に嫌らしい作りとなっておりますが、いくつかのたまごっちは水着の時意外は服を着ていないので、児童ポルノに当たるとの議論に上がる可能性が微粒子レベルでございます。そのため、大きいお友達の方々はお気を付け下さいませ。なお、この作品や新しく始まった別の作品も含め、アイドルになりたい願望を煽る意図が見受けられますので、アイドル養成ビジネスへの投資をお勧めしておりますが、未公開株の購入の取りまとめについては弊社は一切関与していないため、詐欺の能性もございますのでお気を付け下さいませ。ちなみに、これらの情報はインサイダー情報には当たりませんのでご安心下さいませ。

『ダンボール戦機』
LBXなるプラモデルとラジコンを足して2で割った玩具でミニ四駆であった相撲のようなバトルを行う。この作品も日野原作のご他聞に漏れず、まるで訳の分からないピタゴラスイッチな陰謀論で世界が回る。
こちらはプラモ屋で兵器転用可能なものが平気で買えるという、国連名義でアメリカ辺りが即効で苦情を言ってきそうな世界観となっている。一応、凄く硬い強化ダンボールのバトルフィールドで闘わせるからとか緊急停止機能が搭載されているから大丈夫という体になっているが、小型ロボット兵として世界を牛耳る悪党達が繰り出してくるという見も蓋もない展開なのでかなり生々しい。これもLBXを矛、強化ダンボールを盾と考えれば、日野氏の不快、もとい深いメッセージに気付くことが出来る。
また、アニメのCGはショボくても仕方がない。それはこの作品の登場によっていよいよ厳しくなってしまった。他作品のCGと見比べると、誉めそやしているのではないと分かるが、日野氏の物語は風船爆弾でアメリカの首都を攻撃するような壮大さを持っているので、他作品を貶める気を薄れさせる点で優秀といえよう。
『ふるさと再生 日本の昔ばなし』は気軽に楽しい良い作品だ。
絵コンテ、演出、キャラデ、原画や背景を含めた美術まで一人で担当することもあり、そういう人がローテに入っている点も良い。にわかの私でも楽しいぞ。

・絵コンテ、演出、キャラクターデザインを一人が担当
最近は分業になっている場合も多いが、絵コンテという設計図通りに効果を付けて処理する上で意思も含め統一感を出しやすい。

・一人ないし、二人の少人数による原画
書き手が同じなので全体の絵を統一しやすい。

・絵コンテ・演出の担当者が原画と美術も担当することがある
これはあまりないが、美術は背景部門を統括する役職だったか。画面全体の統一感でこれ以上ない布陣といえよう。

・昔話の安定感と三本立ての親和性
懲らしめられましたとさ、幸せに暮らしましたとさ、仲良く暮らしましたとさといった落ちは、万人が共感出来よう。なおかつ、一つ一つが語りの調子で冗長性を配した尺になっている。

・各話毎の担当者による異なった様式
話こそ昔話を基にしているが、三本のキャラデ・背景・彩色の全てが異なっている。そのため、それぞれを担当する作家による個性を見比べるのも一興。

・語りの調子
かつての紙芝居屋さん、あるいは映画館の活弁、もっと身近な祖父さん祖母さんの話。身近ながらも長らく失われつつあった文化の再興。
『たまごっち!』がまた面白くなってきた記念。『たまごっち!』は『Drスランプ アラレちゃん』の正統系譜だ。まあ、視聴率と認知度は段違いだけど、そこは時代とか商品展開の違いもあるやん。


まとめ
・『たまごっち!』と『Drスランプ アラレちゃん』は色々似ている
・『たまごっち!』は『Drスランプ アラレちゃん』と比べて親御さんも安牌に改良されている
・『たまごっち!』は『Drスランプ アラレちゃん』の正統系譜だ


早速、比較行ってみよう。まずは、基本1話完結型で2話構成から始まった。この点は、以前1話型に変更となってパワーダウンしたと指摘したが、本家が出来るならやれるといわんばかりに定着させた。
発明小僧の「まめっち」(釘宮半ズボンボイスが脳に沁みるぜ)は「千兵衛博士」に相当する。
まめっちの発明に命が宿った「ハピハピっち」(演者的にも羽付き『クレしん』のひまわり)は、「アラレちゃん」「ガッちゃん」の折衷に相当する。まめっちには「ちゃまめっち」(「ピースケ」的ポジション)という妹がおり、アラレちゃんを千兵衛博士の妹として誤魔化していた点を思わせる。
作中のヒーロー番組の主役「ゴッチマン」(打ち切りの境を彷徨う不人気設定)は「スッパマン」に相当する。ただし、人格を否定される程の扱いはされておらず、時々ある担当回はオッサンホイホイなのでチェックしておこう。
作品の舞台となっているたまごっち星を征服するためにやってきた「スペイシーブラザーズ」(黒、赤、緑の色した落ち担当の3人組)は、きっと「ちたま」だって征服出来るさ。
1期から鎮座する不動のアイドルヒロイン「ラブリっち/ラブリン」(作中での扱われ方同様に可愛い)の実家はカフェ。
4期加入の「もりりっち」(死語盛り沢山)はどう考えてもナウい。
6期加入で復権に一役買っている「ひめスペっち」(妄想少女+ゆかなの俺得ヘルミッショネルズ)による妄想シーンにおいて、まめっちは極端に美化されている。
他にも挙げれば沢山あるが、それだけなら単に真似て一発当たっただけの作品といえよう。だが、正統系譜というからには、進化や変化がある。大きな点としては、子供の無邪気さを誇張して表現していた破壊や大人相手の態度や言葉遣いといった退廃的であったり真似して欲しくない一切合切が排されている。他には、子供でさえ当たり前に助け合うたまともの絆。作中内番組の形式をとって在りし日の輝いて見えた画面の向こう側を思わせる話。作中での販促回が発売後少し経って現実に商品が馴染みつつある段階で行う反則的販促技。大きなお友達を相手でも立ち回れる演者による早期からの可愛い攻めの英才教育。以前登場させたキャラや設定を当然のように活かしての再登板させる管理能力。
これらは、子供らしい嫌味と雑味こそないが、教育的要素を押し出すでもなく真似にくいし真似しても安心で週間の楽しさや振り返っての発見もある。ゆえに「たまごっち!」は、設定や要素の点だけでなく『Drスランプ アラレちゃん』正統系譜と呼ぶに相応しい。
『ポケットモンスターDP』
全話見たわけではないが、最終話のサブタイトル「想い出はパール!友情はダイヤモンド!!」の秀逸さ、シリーズの中での一つの形式の区切りとしての秀逸さに触れておきたい。
パールの美しさを思い出に、ダイヤモンドの硬さを友情の固さに例えており、タイトルのDPであるダイヤモンドパールに合わせてある。子供ながらもサトシ達人間が別れを素直に受け入れる中、ポケモンが駄々をこねる形で寂しさを強調している。タケシが兄弟一杯だった設定を土産の量で反復したり、男同士の別れと新たな目標への旅立ちが、隣町に住んでいる事を活かして分かれ道の看板とそれに重ねる形での握手で直接的かつ情熱的に表現されている。
それらが一人原画の統一感で描かれているのだから、このシリーズも視聴者も幸せだ。タケシとのお別れは寂しいが、人生に別れは付き物だ。新たな旅立ちを応援したい。
『川の光』NHK総合 : 6/20(土)19:30~20:45
http://www.nhk.or.jp/savethefuture/kawanohikari/
単発の長編、メイキング番組もあり、NHK総合 : 6/20(土)17:30~18:00

覚書

2009年1月2日 アニメ・マンガ
『るろうに剣心』の再放送 テレビ大阪 : 1/05(月) 08:00~
OVAも見れるかもという淡い期待、少なくとも祝日に映画版が見れそう。
『ルパン三世 sweet lost night 〜魔法のランプは悪夢の予感〜』読売テレビ : 07/25(金) 21:03〜
http://lupin-3rd.net/
TVスペシャル
アニメにおいて自然な会話は少ない。あまりに喋りすぎる。といっても、会話のし過ぎというわけではない。実際の会話では、相槌や以心伝心に状況を察して間を置いたりなど、無言や途切れを挟みつつ、時に脱線し時に戻りながら進むことも多い。また、感情は直接の言葉ではなく、語気や見た目から伝わってくることも多い。そういう自然な会話と比べると、必要以上に説明してしまう台詞が見られる。
アニメは結局の所、絵でしかない。ふとした時に作り物感を意識してしまうことがあって、そうなると興醒めである。つまり、そういう台詞と相まってしまえば、容易に作り物感を意識してしまう。好きで見ている者は、その点にかなり寛容だ。しかし、そうでない一見や嵌るほどではないものにとっては、その点が気になり、不自然なものを劣るものとして見てしまうのではないか。
とはいえ、そのもの説明でなくとも、説明台詞でなくては説明できないものもあるとは思う。それとは別に、子供向けの作品の場合は察した上での省略が理解できない、もしくは理解できないと見なしたり、番組の放送中ずっと画面に集中できないことを見越した上で、説明台詞が必要だというのも一理ある。
ところが、深夜の明らかに中高生以上を対象としている作品でも、過剰な説明台詞が見られる。しかも、それが作品の物語の見せ場において見られることがある。それでは、それまでに積み立ててきたキャラクターに魅力があろうと、演者が卓越していようと、高密度な作画であろうと、演出が優れていようと、それら全てを台無しにしてしまうのではないか。物語の要素ばかりが注目され、分析され、作品そのものとして語られることが多いと思うが、見せ方についても今一度注目し、優れているものは、物語の内容が陳腐であろうと褒めていきたいと思う。
全ての要素を物語とその見せ方に乗せつつ乗って送り、そこに魅力がある。それが映像作品だ。
『タッチ』第91話
ランキング番組では見向きもされないが、好きな回。9回裏2アウトでセーフティーを試みた時の1塁への送球時の連続撮影のような演出。モンタージュによって、言葉数は少なくても、人の複雑な心が伝わってくる場面の数々。それらは、この作品がランキング番組で取り上げられることが、懐かしさからだけではないことの証明でもある。

『ドラゴンボール』第94〜95話
ジャッキー・チュンが天津飯に対して勝ちを譲る場面と、その後のやり取りの巧みさから、年長者としての理想的な姿と気持ちが伝わってきて熱くなった。ランキング番組では、必殺技や後の光線技ばかりが印象に残っているが、俺には肉体の激しいぶつかり合いばかりが思い出されるわけで、実際に見返してみて、それが事実だと分かった。

懐かしの作品とか伝説の作品だからというだけでなく、巧みな作品であること。それが、今見ても心が熱くなれる訳だと再認識できた。まだまだ奥が深い。

羅列

2006年11月22日 アニメ・マンガ
今期の気にいったOPについてのあれこれを羅列

・『ネギま!?』
行き過ぎた記号化をスピードでやっつけて笑えるけど見れて、ラストが上手いなと。

・『武装錬金』
アップテンポな曲に抜群のタイミングと歌詞の内容から連想できる絵作りが良い。

・『幕末機関説 いろはにほへと』
和風の曲に突き出した刀で花弁が切れるのが好きだ。また、全体的に、史実に嘘を織り交ぜるバランス感覚を感じさせるのも良い。

・『ぷるるんっ!しずくちゃん』
変てこな曲に乗せて、ぷるぷるするのがとても可愛い。

・『すもももももも 〜地上最強のヨメ〜』
出だしからして、「おい。」と言わずにいられない曲にタイミングが合っていて、それがまた「おい。」と言ってしまう。さらに、作品の系統を容易に理解できるのが良い。

・『くじびき アンバランス』
曲に合わせたタイミングが上手く、作品の系統を容易に理解できるのが良い。
恋や愛がメインでない話にそれを持ち込むと、テーマや世界観が陳腐化してしまう印象を受ける。また、初めかられをメインにした話も、その場その場での台詞や演技だけで話を作ってしまう印象を受ける。今日日、SFも、ファンタジーも理由付けを用意して作っているというのに、恋や愛は1カットで突然やってくる。その1カットには全身全霊が込もっていてこそ説得力がある。それがないと感動の大安売りだ。

・まとめ
カットを積み重ねる演出が生み出す有意味が好きだ。

境界

2006年9月17日 アニメ・マンガ
『プリキュア』や『ふたご姫』は「夢や希望や努力」というテーマがメインの話だけど、これがもう少し上の年齢向けになると途端に「夢や希望や努力」はちょっと叶わないかもと一歩引いて「愛や絆」に落ち着く。確かにその方がリアリズムに繋がるだろうが、こと子供向けに関しては「夢や希望や努力」は叶うもの、というよりは叶えるものとして描かれるべきだ。その一線は未だに守られており、それこそが作り手の矜持と呼べるものなのだろう。
『エヴァ』10周年企画の一環としての映画化、それも最近ではパチ屋での種蒔きも行われたいたわけで、その刈り取りと見るべきか。また、映画の公開時期と制作期間から逆算しても企画自体はかなり前から進行していたと見るのが妥当か。
○月Pはインタビューで今のアニメやオタク界隈に疑問を呈するようなことを答えていたが、監督や話の上ではあの夏に自己啓発を焚き付けてその癖首を絞めるしかないと自己総括して置いてけ堀にして置きながら、このようなことを言うとは度し難い。
今度は足切りでないラストへと導いて欲しいものだ。
『ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ』
http://www.ntv.co.jp/kinro/lupin-3rd/

いよいよ来週。これほど時代性を必要とした作品もないが、『カリオストロの城』は、いつ見ても上手いと思えるんだから、やれないことはないはずだ。そうであって欲しい。
お約束塗れの生温い死んだシナリオでないことを祈る。
『僕等がいた』は演出も上手く、よく出来た作品なんだけど、感情移入からは程遠い。それは、僕にとって、僕やメタ的に見た僕の代弁者はどこにもいないか、触れられもしないからだ。僕は、もっといじけた作品の方が好きだ。
吹き溜まりだったあの日の僕は、素直に青春したかったのだけど、そうしたら、その時の唯一にして最大の社会である学校から阻害されていたであろう。非行に逃げ込むことのできなかった僕には、社会復帰の特急券「更生」もなく、良くてもひきこもり、悪ければ無差別殺人者が関の山だった。
時折、メタ的に見て少しでもいじけた作品を好きでいる者に、もっと素直に青春して手近な幸せを掴めと言う人がいるが、自意識過剰と言えばそれまでだろうが、たぶん、そうして触法少年となった時には、おとなしかった、真面目だったと語るだけで、己の焚き付けを省みないだろう。それでいて、自分の素晴らしい人さ加減に無頓着なのだ。
そういうことを考えてしまうから、こういう作品は好きになれない。
『SLAM DUNK』のOPで、踏み切りを挟んで晴子が手を振るカットは顔と体のバランスのせいか変に感じる。だが、晴子の愛らしさの際立つ良い絵であり、その後の照れ気味に手を振り返す花道が惚れるに十分だ。こういう絵が好いた惚れたには必要なのだ。
『クレヨンしんちゃん』の次回予告でうさぎが出てきた。
幸せうさぎにしか見えなくて、初登場から気になってたけど、また出てきた。
ムトウユージが監督になってから、この手の声ネタやパロネタが増量した気がする。

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