『さくら荘のペットな彼女』のおかゆが越えた一線。


病人に出すおかゆを見映えさせるためだが何だか知らないが、油っぽいであろう鶏丸ごとのおかゆっぽい韓国料理だかに変更したことが、演出として下の下だとは改めて振れるまでもないが、何がそこまで苛立たせるのかについての解釈。


まとめ
・越境者への嫉妬と憧憬を扱った作品は特に最後の一線は真面目に
・失策やそれによるがっかりは良い経験を悪い経験へと塗り替える


まず、この作品はよくある学生の主人公がヒロインに惚れた腫れたの類の作品である。主人公が惚れられるに足る理由としては、捨て猫の面倒を見るために変人揃いと気味悪がられている「さくら荘」という寮に引っ越すような献身さにある。
また、さくら荘に揃う変人は、オタク系業界での実績宜しい才能の持ち主達である。トキワ荘的な一刻館といったところか。そこへ特に才能があるでもなく成り行きで住むことになった主人公は振り回される毎日や己の才能の無さへの後ろめたさから形ばかりの脱さくら荘を掲げている。そんな日々に飛び切りポンコツで微妙に下手っぴな漫画を描くヒロインが越してきて、主人公が世話係を命じられ、同類の登場にホッとしていたら、現代絵画の天才だったな展開から始まるドタバタラブコメといった作品だ。
強みとなる点は、主人公のさくら荘に集った越境者達への嫉妬と憧憬からの立ち回りを根底に描いていることであり、それが受け手にとってそれぞれ重ね合わせやすい。
炎上だけ取って見れば、韓国だとかへの不快感だとかネトウヨだとか、不自然で寒いクソ演出乙といった野次馬的な乗っかりによるところが大きいかもしれない。
しかしながら、何故今回の件が炎上に繋がる苛立ちを招いたかといえば、ステマの是非抜きに出しにされることやつまらない媚びにしか見えない類の演出であったこと。あるいは、それらによって原作や作品を損ねたことが原因である。作品を損ねるということは、受け手にとっての越境者ともいえる作り手によって成されている不作為的所業に対する怒りを招く。なおかつ、時間に余裕があるか、それなりに見る気を持っていないと続かないであろう6話まで視聴を続けていた作品という経験が、6話まで視聴を続けていたクソ演出作品という経験に塗り替えられたのだから腹立たしいのは当然といえよう。ただでさえ越境者達への嫉妬と憧憬を扱う上にオタク系業界となれば殊更だ。更に今回の場合は、原作者の心を折って新刊無期限延期を招く可能性もあるだけにより重たい。
以上が、便乗愉快でない視聴者の怒りの源泉についての一つの解釈だ。

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okm

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