2012年9月位に終了をまとめて
2012年11月18日 シリーズ全体の感想上げるの忘れてた。
『氷菓』
最初こそ、里志の摩耶花の気持ちを玩ぶ様に引いてしまったが、何のことはない折木の千反田へのそれと同様で、リア充臭を押さえるためのポーズであったというわけだ。
評価を意識させるタイトルではあるが、人が死なずにそれなりに謎やらしきものを解いて満足するってのは悪くなかった。しかしながら、生き死に程分かりやすくて深いものもない訳だから、したりといった具合に謎を解いても大したことはないという構造上の問題が気にならない訳でもない。その辺をキャラの可愛さだとかの押しで押し込むのは流石といった作りだった。
何気ない日常の事件ぎりぎりの謎を解いて見せつつ、それを青春の一時から将来へと匂わせる落とし方は、如何せん作品の終末点であろう恋の話やその後の実態の話になってくるので、完全には決着させず先送りにせざるを得ないのが残念でもあり程よくもあった。
次があるなら、OPは前期の系統のリズムでお願いします。
『人類は衰退しました』
何だかんだとシニカルに衰退した人類代表として、今の人類である妖精さんと戯れる「わたし」の様は独特の世界観を描いていた。ただ、途中から前日譚に変わる構成は、妖精さんの不思議な力の印象からか、現在進行形の時系列における仕掛けなのかと勘違いしてしまった。まとめると、仕掛けも上々で吸引力はあるが、我は心奪われず。
『もやしもんリターンズ』
酒店の回想だとか、教授の怪しい人脈だとか、新要素の披露はあったものの、長谷川さんが遠回りして研究者の道に帰ってくるまでのお話でしたとまとめられるだろう。菌劇場が相変わらず愛らしくて良かった。
『機動戦士ガンダムAGE』
母親を殺されて、好きになった女の子と闘わされて死なせてしまった罪悪感が駄目押しになってファビョった初代主人公。対する敵さんは火星移住の失敗と死病に冒されたことから、戦争による人類選別を行い新人類による理想の地球を夢見るシムアース脳に冒される。
この二人が、二大勢力の頭目と分かってからのファビョり合い宇宙は、物語の支離滅裂さもあって地獄絵図と相成った。
二代目主人公は、母方の祖父を名前で呼び捨てにするわ、30過ぎて愚連隊の頭目に納まってナルシストを気取る糞野郎。対する敵さんの宇宙艦隊総司令官は、作品の両親ともいえる存在であったが最後は青鬼になることもなくトチ狂って死ぬとういう、シャアとガルマを足して割った後にビーチャとモンドを掛け合わせたようなつまらない支離滅裂なナルシストであった。
三代目主人公は、戦争兵器として初代に育てられた可愛そうな子供。果ては、敵に拘束された結果の敵地視察で、持ち前のお涙スイッチが入って、戦いながら戦争を止める方法を見つけようと説得して敵を逃がす始末。
歴代の脇を固めるキャラの中にも悪くはない奴は居たが、皆都合により支離滅裂な最後を強いられた。
まとめると、思想や性格に難はあるが力ある初代指導者達、初代の構築した基盤でナルシストの性質を満足させる二代目達、巻き込まれて辟易しながらずれているけど精一杯頑張る三代目達、彼らを中心に多くの名も無き人々の営みは忘れ去られた激動の100年を描いた。それが『機動戦士ガンダムAGE』だ。
三世代掛けて描いたものは、旧作の劣化したなぞりでしかなかった。それも安易に人々が和解するだとか、ガンダム記念館に初代主人公の銅像が建ってありがたがるという悪夢。この作品の強みであったであろう要素は、主人公の息子が主人公としても次世代を担うということであろうか。結局は、物語の整合性が駄目駄目なこともあって、活躍したキャラはいい歳になれば退場するなり引退するなりした方が晩節を汚すことないという作品論や生き方における美学を鑑みる結果となった。
つまり、この作品は日本のAGEを斜に構えて描いた作品だったのだよ!!
ナンダッテー。あるいは、サンライズのAGEを描いたともいえるかもしれない。
冗談はさておき、結果として無意味という意味を提示することになったというのがこの作品の感想だ。
こういう作品を作ることを強いられてしまう現状に対し、思うところが無い筈も無かろうて、苦しい一年間をお疲れ様でした。
『アクセル・ワールド』
作為性を強く意識させられる作品ではあったが、要するに格ゲーなわけだから、気合でダメージやらゲージやらが左右されるように見えるというよりは、されてしまっていた演出には疑問を感じた。だって、ある時は初代ストⅡ、ある時は最近のコンボゲーでは、ゲームになってない感を受けますわな。まあ、最後の最後も結局ヒロインが強すぎるがゆえの綻びともいえる展開で、やっと覚醒かと思ったら上には上が身近にいるってのは、肩透かしもいいところで微妙な感じがした。もっとこう、販促作品のようにしっかりと作中のゲームを軸にするという手もあったか。勢いで作ると続編で矛盾して苦労するのは定番であろうにね。
『はぐれ勇者の鬼畜美学』
公式HPの下着フィッティングミニゲームの如くあざと過ぎるサービス、それをしれっとやって抜ける強くて斜に構えた格好良い主人公って感じで、異世界で勇者になった後だけあって負ける気皆無で終始茶番の様相を呈していた。どこの世界に公衆の面前でおっぱい触って許される奴がいるんだか、シチュエーションで見せるわけでもなく、変な光の魔法でガードするしで残念な感じでした。そう、わしはおっぱいが見られんから怒ってるんやない。エロく見せんから怒ってるんや。とでもいっておこうか。はあ、おっぱい。
『TARI TARI』
場当たり的ではあるが精一杯対処する様は一生懸命ではあるのだが、事の起こりから結果までの間にある感情の機微が抜け落ちていたような印象から作為性を強く感じた。結末に関しても悪い落ちではないし、約束されていた強制ハッピーエンドによる青春群像といったところなのだろうが、作為性が足り過ぎているゆえに何か足りない印象に繋がった。何というか、お母さんと一緒に作った曲の非凡さとかも一度作為性が気になりだすと気に障ってしまったね。そこまで神の手が働かないと青春にならないとは思えない。
『遊戯王ZEXAL』
結局の所、アニメスタッフには、新規カードのデザインについての決裁権はなく、他の部分を掌握するしかないのだが、キャラの出し方を雑にやってしまった感があって、世界の危機に向き合う戦いにおいて足を引っ張っていた。勿論、何か真面目そうな雰囲気にしておきながら、強カードや下位互換カードがそれをぶち壊す作風を変えることも出来ていなかった。ただ、アストラルの存在のおかげでかろうじて踏ん張ったかなとしておこう。
『ゆるめいつ3でぃPLUS』
楽しいやり取りではあるのだが、受験生としての現実に対し解決にならないものばかりで、最後には夢だったら良いのになと。何段もの夢落ちを持ってくるのが作品の雰囲気を象徴していたと思う。テンポも良くてミニ枠で気楽に見られる。駄目じゃないわけないじゃない。
『超訳百人一首 うた恋い。』
百人一首の解説本に載ってそうな内容に人物略歴を付け加えたものに、現代的かつトレンディードラマ思考で解釈しかのような作風であった。勿論、定家と頼綱の生真面目に馬鹿馬鹿しいことを繰り広げるコントだとかも面白くあった。詰まるところ、日本においてはティーン向け作品を含めて多くの作品がトレンディードラマのようなものかその亜種で留まっているのに対し、逆にこの作品は古典にそうした現代的な好みを加えたことで時代を超えて通ずる人の心の在り様とそれを詠んだ歌をちょっと見ただけで味わい深くなったつもりにさせてくれる学習漫画的作品に仕上げていた。
『だから僕は、Hができない。』
糞茶番、あるいは強制壁殴りエンドともいうべき想定通りの落ちではあったが、シリアス面をぶち壊すエロ煩悩力を盛り込んだやり取りで、楽しくやってそうな演者の雰囲気が出ていた。深刻そうなふりして、結局は変態だけど何だかウハウハってことで、それをどうこうってのは野暮だ。地上波では光と影をまとっているが、その有無以前にどうにもHに感じない画面になっていた点が最後まで気になった。小さいおっぱいも大きいおっぱいもおケツ様も太股神も、脳天にずっしり来る質感が欲しかったね。EDは割と良かったけど、本編が大事だよね。
『境界線上のホライゾン2』
何やかんやで、惚れた女の為に世界を敵に回しても構わない体でぶつかって、支えてくれる仲間がいて、それぞれの陣営に色々あってと相変わらず全部把握は出来ていないが、表面的に見てスカッとする話になっている点と、おっぱいと尻やら太股の質感がよろしゅうございました。なぜだか全編裸で通していた主人公も、流石に今後の引きとなる最後だけは服を着て真面目にまとめた体になっていたあたりも長い長い仕掛けで感心した。まあ、セックス云々の小学生的言葉遊びは、家人の前で見るには堪えぬ。
『カンピオーネ!~まつろわぬ神々と神殺しの魔王~』
受け手に能動性のあるゲームから能動性を廃したかのような急ぎ早な展開だった。何かこう、背後の資本関係とか関係者の保険掛けとかが、厳しそうなスケジューリングと一緒に透けて見えるかのような、文字通り小金色した小難しい作りに見えてその実は雑という感じ。ヒロインを一通り出す為に話を進めることばかりに終始していたが、要所では〆に立木ナレを入れるという、二話からずっと思っていたが、もういっそ主人公の祖父さんで出すとか、小難しそうな設定を全部力技で持っていくように毎回OPの前にナレーション入れときゃ、もっと清々しい印象になったと思うね。何だかんだと設定を並べたところで、女の子とチュッチュするための装置以上の何かにはなっていないのだから、そこはゴリ押しだ。
『ココロコネクト』
こんなに生の感情むき出しに他人と接していたら疲れるわってやり取りを異能者の企てでやらされる中で、互いの心の繋がりを感じるというのがココロコネクトってことだったのだろうか。学生時代の繋がりってのは、振り返って感じるものもあるわけで、それを知ってか知らでか中学生日記的な剥き出しな話は、演者が上手いと逆に引くってのは新しい発見だった。依存一歩手前の危うさか、別にそこまでして繋がったこともなければ繋がりたいとも感じない話から来る嫌味というか雑味が際立つってことですな。
『この中に1人、妹がいる!』
どうせ妹なんて居なくて、延々と引っ張る落ちだろう。そんな風に考えていた時期が俺にもありました。想像以上に無茶苦茶な状況を極めて理性的かつ現実的に理詰めで乗り切ろうとする主人公が、迫られてはヒロイン以上に狼狽する姿も含め、好感が持てた。それが、全ての印象を悪くないものにしていたといえるだろうか。それにしてもこの主人公、モテモテであるが、御曹司ゆえに嫌味ともいえない生臭さがある。学び舎で嫁探しはどうかと思うが、意外とどうして設定を上手くまとめていたね。まあ、妹と言ったが、あれは嘘だ。それでも一向に構わない気楽な作風が良かったね。
『戦国コレクション』
キャラ絵と設定、それだけを基にお話を組み立てる。しかも、同じ絵柄でパロも含めて色々なジャンルで毎回違った作風、かつ同じタイトルとしての統一性も保つ。よもやこれ程のことが2クール通して綺麗に完遂されるとは思わなかっただけに、かなり衝撃的だった。恐らく、当分お目にかかることはないであろう作風であり、それがキャラ絵と設定から起こすという、ある意味での想像力を喚起させる創造性から生まれようとは……。原作付きでゴチャゴチャと破綻している場合ではないですぞ。2010年代は前半から当りが多いわ。
『DOG DAYS´』
今回は初めから深刻さ皆無、というよりは休みを利用した短期滞在である以上、必ず生じる別れと郷愁が約束されていることから、のびのびと茶番を楽しむ作りになっていた。全力で遊んで、帰る時と思い返す時には少し寂しい。そう、異世界と銘打っているが、割と気軽に行き来出来る田舎に行った前後って感じですな。気楽に見れて良かった。それにしても、リスの尻尾可愛過ぎたわ。
『織田信奈の野望』
歴史ゲームに詳しいだけで、人の気持ちを思いやるというよりは、自分の道徳観からして不愉快にならないようにしようとする主人公の独善性。それを嗜める正ヒロインの蝮のじいさんにさえも差し出がましい態度を戒める事件も起きずに終わってしまったか。まあ、それもこれもiphoneのアプリのおかげということにしておこう。矢でも鉄砲でも大丈夫な訳だしね。そう考えないと、命の取り合いをする戦国での本気さの欠如が気になって仕方がない。
『氷菓』
最初こそ、里志の摩耶花の気持ちを玩ぶ様に引いてしまったが、何のことはない折木の千反田へのそれと同様で、リア充臭を押さえるためのポーズであったというわけだ。
評価を意識させるタイトルではあるが、人が死なずにそれなりに謎やらしきものを解いて満足するってのは悪くなかった。しかしながら、生き死に程分かりやすくて深いものもない訳だから、したりといった具合に謎を解いても大したことはないという構造上の問題が気にならない訳でもない。その辺をキャラの可愛さだとかの押しで押し込むのは流石といった作りだった。
何気ない日常の事件ぎりぎりの謎を解いて見せつつ、それを青春の一時から将来へと匂わせる落とし方は、如何せん作品の終末点であろう恋の話やその後の実態の話になってくるので、完全には決着させず先送りにせざるを得ないのが残念でもあり程よくもあった。
次があるなら、OPは前期の系統のリズムでお願いします。
『人類は衰退しました』
何だかんだとシニカルに衰退した人類代表として、今の人類である妖精さんと戯れる「わたし」の様は独特の世界観を描いていた。ただ、途中から前日譚に変わる構成は、妖精さんの不思議な力の印象からか、現在進行形の時系列における仕掛けなのかと勘違いしてしまった。まとめると、仕掛けも上々で吸引力はあるが、我は心奪われず。
『もやしもんリターンズ』
酒店の回想だとか、教授の怪しい人脈だとか、新要素の披露はあったものの、長谷川さんが遠回りして研究者の道に帰ってくるまでのお話でしたとまとめられるだろう。菌劇場が相変わらず愛らしくて良かった。
『機動戦士ガンダムAGE』
母親を殺されて、好きになった女の子と闘わされて死なせてしまった罪悪感が駄目押しになってファビョった初代主人公。対する敵さんは火星移住の失敗と死病に冒されたことから、戦争による人類選別を行い新人類による理想の地球を夢見るシムアース脳に冒される。
この二人が、二大勢力の頭目と分かってからのファビョり合い宇宙は、物語の支離滅裂さもあって地獄絵図と相成った。
二代目主人公は、母方の祖父を名前で呼び捨てにするわ、30過ぎて愚連隊の頭目に納まってナルシストを気取る糞野郎。対する敵さんの宇宙艦隊総司令官は、作品の両親ともいえる存在であったが最後は青鬼になることもなくトチ狂って死ぬとういう、シャアとガルマを足して割った後にビーチャとモンドを掛け合わせたようなつまらない支離滅裂なナルシストであった。
三代目主人公は、戦争兵器として初代に育てられた可愛そうな子供。果ては、敵に拘束された結果の敵地視察で、持ち前のお涙スイッチが入って、戦いながら戦争を止める方法を見つけようと説得して敵を逃がす始末。
歴代の脇を固めるキャラの中にも悪くはない奴は居たが、皆都合により支離滅裂な最後を強いられた。
まとめると、思想や性格に難はあるが力ある初代指導者達、初代の構築した基盤でナルシストの性質を満足させる二代目達、巻き込まれて辟易しながらずれているけど精一杯頑張る三代目達、彼らを中心に多くの名も無き人々の営みは忘れ去られた激動の100年を描いた。それが『機動戦士ガンダムAGE』だ。
三世代掛けて描いたものは、旧作の劣化したなぞりでしかなかった。それも安易に人々が和解するだとか、ガンダム記念館に初代主人公の銅像が建ってありがたがるという悪夢。この作品の強みであったであろう要素は、主人公の息子が主人公としても次世代を担うということであろうか。結局は、物語の整合性が駄目駄目なこともあって、活躍したキャラはいい歳になれば退場するなり引退するなりした方が晩節を汚すことないという作品論や生き方における美学を鑑みる結果となった。
つまり、この作品は日本のAGEを斜に構えて描いた作品だったのだよ!!
ナンダッテー。あるいは、サンライズのAGEを描いたともいえるかもしれない。
冗談はさておき、結果として無意味という意味を提示することになったというのがこの作品の感想だ。
こういう作品を作ることを強いられてしまう現状に対し、思うところが無い筈も無かろうて、苦しい一年間をお疲れ様でした。
『アクセル・ワールド』
作為性を強く意識させられる作品ではあったが、要するに格ゲーなわけだから、気合でダメージやらゲージやらが左右されるように見えるというよりは、されてしまっていた演出には疑問を感じた。だって、ある時は初代ストⅡ、ある時は最近のコンボゲーでは、ゲームになってない感を受けますわな。まあ、最後の最後も結局ヒロインが強すぎるがゆえの綻びともいえる展開で、やっと覚醒かと思ったら上には上が身近にいるってのは、肩透かしもいいところで微妙な感じがした。もっとこう、販促作品のようにしっかりと作中のゲームを軸にするという手もあったか。勢いで作ると続編で矛盾して苦労するのは定番であろうにね。
『はぐれ勇者の鬼畜美学』
公式HPの下着フィッティングミニゲームの如くあざと過ぎるサービス、それをしれっとやって抜ける強くて斜に構えた格好良い主人公って感じで、異世界で勇者になった後だけあって負ける気皆無で終始茶番の様相を呈していた。どこの世界に公衆の面前でおっぱい触って許される奴がいるんだか、シチュエーションで見せるわけでもなく、変な光の魔法でガードするしで残念な感じでした。そう、わしはおっぱいが見られんから怒ってるんやない。エロく見せんから怒ってるんや。とでもいっておこうか。はあ、おっぱい。
『TARI TARI』
場当たり的ではあるが精一杯対処する様は一生懸命ではあるのだが、事の起こりから結果までの間にある感情の機微が抜け落ちていたような印象から作為性を強く感じた。結末に関しても悪い落ちではないし、約束されていた強制ハッピーエンドによる青春群像といったところなのだろうが、作為性が足り過ぎているゆえに何か足りない印象に繋がった。何というか、お母さんと一緒に作った曲の非凡さとかも一度作為性が気になりだすと気に障ってしまったね。そこまで神の手が働かないと青春にならないとは思えない。
『遊戯王ZEXAL』
結局の所、アニメスタッフには、新規カードのデザインについての決裁権はなく、他の部分を掌握するしかないのだが、キャラの出し方を雑にやってしまった感があって、世界の危機に向き合う戦いにおいて足を引っ張っていた。勿論、何か真面目そうな雰囲気にしておきながら、強カードや下位互換カードがそれをぶち壊す作風を変えることも出来ていなかった。ただ、アストラルの存在のおかげでかろうじて踏ん張ったかなとしておこう。
『ゆるめいつ3でぃPLUS』
楽しいやり取りではあるのだが、受験生としての現実に対し解決にならないものばかりで、最後には夢だったら良いのになと。何段もの夢落ちを持ってくるのが作品の雰囲気を象徴していたと思う。テンポも良くてミニ枠で気楽に見られる。駄目じゃないわけないじゃない。
『超訳百人一首 うた恋い。』
百人一首の解説本に載ってそうな内容に人物略歴を付け加えたものに、現代的かつトレンディードラマ思考で解釈しかのような作風であった。勿論、定家と頼綱の生真面目に馬鹿馬鹿しいことを繰り広げるコントだとかも面白くあった。詰まるところ、日本においてはティーン向け作品を含めて多くの作品がトレンディードラマのようなものかその亜種で留まっているのに対し、逆にこの作品は古典にそうした現代的な好みを加えたことで時代を超えて通ずる人の心の在り様とそれを詠んだ歌をちょっと見ただけで味わい深くなったつもりにさせてくれる学習漫画的作品に仕上げていた。
『だから僕は、Hができない。』
糞茶番、あるいは強制壁殴りエンドともいうべき想定通りの落ちではあったが、シリアス面をぶち壊すエロ煩悩力を盛り込んだやり取りで、楽しくやってそうな演者の雰囲気が出ていた。深刻そうなふりして、結局は変態だけど何だかウハウハってことで、それをどうこうってのは野暮だ。地上波では光と影をまとっているが、その有無以前にどうにもHに感じない画面になっていた点が最後まで気になった。小さいおっぱいも大きいおっぱいもおケツ様も太股神も、脳天にずっしり来る質感が欲しかったね。EDは割と良かったけど、本編が大事だよね。
『境界線上のホライゾン2』
何やかんやで、惚れた女の為に世界を敵に回しても構わない体でぶつかって、支えてくれる仲間がいて、それぞれの陣営に色々あってと相変わらず全部把握は出来ていないが、表面的に見てスカッとする話になっている点と、おっぱいと尻やら太股の質感がよろしゅうございました。なぜだか全編裸で通していた主人公も、流石に今後の引きとなる最後だけは服を着て真面目にまとめた体になっていたあたりも長い長い仕掛けで感心した。まあ、セックス云々の小学生的言葉遊びは、家人の前で見るには堪えぬ。
『カンピオーネ!~まつろわぬ神々と神殺しの魔王~』
受け手に能動性のあるゲームから能動性を廃したかのような急ぎ早な展開だった。何かこう、背後の資本関係とか関係者の保険掛けとかが、厳しそうなスケジューリングと一緒に透けて見えるかのような、文字通り小金色した小難しい作りに見えてその実は雑という感じ。ヒロインを一通り出す為に話を進めることばかりに終始していたが、要所では〆に立木ナレを入れるという、二話からずっと思っていたが、もういっそ主人公の祖父さんで出すとか、小難しそうな設定を全部力技で持っていくように毎回OPの前にナレーション入れときゃ、もっと清々しい印象になったと思うね。何だかんだと設定を並べたところで、女の子とチュッチュするための装置以上の何かにはなっていないのだから、そこはゴリ押しだ。
『ココロコネクト』
こんなに生の感情むき出しに他人と接していたら疲れるわってやり取りを異能者の企てでやらされる中で、互いの心の繋がりを感じるというのがココロコネクトってことだったのだろうか。学生時代の繋がりってのは、振り返って感じるものもあるわけで、それを知ってか知らでか中学生日記的な剥き出しな話は、演者が上手いと逆に引くってのは新しい発見だった。依存一歩手前の危うさか、別にそこまでして繋がったこともなければ繋がりたいとも感じない話から来る嫌味というか雑味が際立つってことですな。
『この中に1人、妹がいる!』
どうせ妹なんて居なくて、延々と引っ張る落ちだろう。そんな風に考えていた時期が俺にもありました。想像以上に無茶苦茶な状況を極めて理性的かつ現実的に理詰めで乗り切ろうとする主人公が、迫られてはヒロイン以上に狼狽する姿も含め、好感が持てた。それが、全ての印象を悪くないものにしていたといえるだろうか。それにしてもこの主人公、モテモテであるが、御曹司ゆえに嫌味ともいえない生臭さがある。学び舎で嫁探しはどうかと思うが、意外とどうして設定を上手くまとめていたね。まあ、妹と言ったが、あれは嘘だ。それでも一向に構わない気楽な作風が良かったね。
『戦国コレクション』
キャラ絵と設定、それだけを基にお話を組み立てる。しかも、同じ絵柄でパロも含めて色々なジャンルで毎回違った作風、かつ同じタイトルとしての統一性も保つ。よもやこれ程のことが2クール通して綺麗に完遂されるとは思わなかっただけに、かなり衝撃的だった。恐らく、当分お目にかかることはないであろう作風であり、それがキャラ絵と設定から起こすという、ある意味での想像力を喚起させる創造性から生まれようとは……。原作付きでゴチャゴチャと破綻している場合ではないですぞ。2010年代は前半から当りが多いわ。
『DOG DAYS´』
今回は初めから深刻さ皆無、というよりは休みを利用した短期滞在である以上、必ず生じる別れと郷愁が約束されていることから、のびのびと茶番を楽しむ作りになっていた。全力で遊んで、帰る時と思い返す時には少し寂しい。そう、異世界と銘打っているが、割と気軽に行き来出来る田舎に行った前後って感じですな。気楽に見れて良かった。それにしても、リスの尻尾可愛過ぎたわ。
『織田信奈の野望』
歴史ゲームに詳しいだけで、人の気持ちを思いやるというよりは、自分の道徳観からして不愉快にならないようにしようとする主人公の独善性。それを嗜める正ヒロインの蝮のじいさんにさえも差し出がましい態度を戒める事件も起きずに終わってしまったか。まあ、それもこれもiphoneのアプリのおかげということにしておこう。矢でも鉄砲でも大丈夫な訳だしね。そう考えないと、命の取り合いをする戦国での本気さの欠如が気になって仕方がない。
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