【メモ】ネット配信の群雄割拠を読み解く
2012年6月14日 メモ生の価値とネット放送と視聴環境の変化。
まとめ
・今という生の感覚に旬の感覚が合わさると価値が高まる
・旬の内は融通が利きやすい
・最新話1週間無料は、けちというよりは旬の感覚を付加している
・旬や流行を追うとは、詰まるところ間断無き消費の連鎖に繋げやすい
・自分が楽しめる作品は、自分で積極的に探す必要がある
生放送ではない収録の放映であっても、放送時間に見ることは視聴者にとって巻き戻しの出来ない感覚である。元来、アニメは絵を連続して撮影し繋げて作るものなので生放送が難しい。放送時間に見るという感覚は、録画視聴やビデオグラムでの後追いでは見逃しの対処を考えない場合に絶対に得られない感覚だ。
食べ物でいうところの「旬」だとか、流行の最先端における優位性や優越感もこれと似ている。旬の内は、作り捨ての雑な作りでも許される。一方で、旬を過ぎれば、旬の感覚とは違った何か。例えば、王道のようなものが求められる。
自称古参アニメファンとやらは、深夜アニメの先鋭化を気持ち悪がることがある。理由に、ゴールデンタイムのアニメの時代の良さと懐かさを挙げる。が、今のゴールデンタイムのアニメは見ていないのではないだろうか。
これは、単に自分が見る時間という生の感覚が大事なのであって、たまたまその時に放映されていたものがアニメであったということに過ぎない。今やったところで見ないのなら、根拠としてもビジネスモデルとしても破綻している。加えて、深夜に放映しているからといって、深夜に見ている者が大多数とは限らない。
では、オンデマンドで好きな時間に見るのと変わらないかというと、今見たという生の感覚はあっても、現在進行形で制作放映中の作品以外では旬の感覚に欠ける。この点ネットにおいては、最新話のみ無料といった形が多い。これはけちなのではなく、最新話を旬を逃さず消費出来るといえる。結果、生と旬を擬似的に操って、知らず知らずにテレビで新規話数を追う感覚の訓練にもなっている。
視聴への支払が生じる場合、それは視聴権に対するものである。ただし、完結までの間においては、中途からの視聴参入と旬に追いつくための費用の意味合いも含んでいる。
後追いするにしても、お金は勿論、人気を得られない作品は後々の配信機会どころか、視聴もされることなく忘れ去られる可能性が高い。身も蓋もない見方をすれば、資本主義的、商業主義的成功とは、今のところは間断の無い消費の連鎖でしかない。他方、文化の価値といえば大げさだが、自分の楽しめる作品足る秘密の花園が育つ様を愛でるには、今まで以上に積極的に探さねばなるまい。その手間は、生活の変化と共に年々増加していく。
まとめ
・今という生の感覚に旬の感覚が合わさると価値が高まる
・旬の内は融通が利きやすい
・最新話1週間無料は、けちというよりは旬の感覚を付加している
・旬や流行を追うとは、詰まるところ間断無き消費の連鎖に繋げやすい
・自分が楽しめる作品は、自分で積極的に探す必要がある
生放送ではない収録の放映であっても、放送時間に見ることは視聴者にとって巻き戻しの出来ない感覚である。元来、アニメは絵を連続して撮影し繋げて作るものなので生放送が難しい。放送時間に見るという感覚は、録画視聴やビデオグラムでの後追いでは見逃しの対処を考えない場合に絶対に得られない感覚だ。
食べ物でいうところの「旬」だとか、流行の最先端における優位性や優越感もこれと似ている。旬の内は、作り捨ての雑な作りでも許される。一方で、旬を過ぎれば、旬の感覚とは違った何か。例えば、王道のようなものが求められる。
自称古参アニメファンとやらは、深夜アニメの先鋭化を気持ち悪がることがある。理由に、ゴールデンタイムのアニメの時代の良さと懐かさを挙げる。が、今のゴールデンタイムのアニメは見ていないのではないだろうか。
これは、単に自分が見る時間という生の感覚が大事なのであって、たまたまその時に放映されていたものがアニメであったということに過ぎない。今やったところで見ないのなら、根拠としてもビジネスモデルとしても破綻している。加えて、深夜に放映しているからといって、深夜に見ている者が大多数とは限らない。
では、オンデマンドで好きな時間に見るのと変わらないかというと、今見たという生の感覚はあっても、現在進行形で制作放映中の作品以外では旬の感覚に欠ける。この点ネットにおいては、最新話のみ無料といった形が多い。これはけちなのではなく、最新話を旬を逃さず消費出来るといえる。結果、生と旬を擬似的に操って、知らず知らずにテレビで新規話数を追う感覚の訓練にもなっている。
視聴への支払が生じる場合、それは視聴権に対するものである。ただし、完結までの間においては、中途からの視聴参入と旬に追いつくための費用の意味合いも含んでいる。
後追いするにしても、お金は勿論、人気を得られない作品は後々の配信機会どころか、視聴もされることなく忘れ去られる可能性が高い。身も蓋もない見方をすれば、資本主義的、商業主義的成功とは、今のところは間断の無い消費の連鎖でしかない。他方、文化の価値といえば大げさだが、自分の楽しめる作品足る秘密の花園が育つ様を愛でるには、今まで以上に積極的に探さねばなるまい。その手間は、生活の変化と共に年々増加していく。
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