映画とテレビの話。
考えたつもりで、実は映画上映の間おしっこを我慢できない野郎の戯言。


まとめ
・テレビは映画より快楽志向で場当たり的になりがちで刹那的と評される
・映画は受け手の時間に対し連続であるがゆえに刹那的とも見られる
・テレビは受け手の時間に対し不連続だが、連続的に補完されるゆえに刹那的ではないともいえる
・刹那的でない受け止め方をすれば、テレビは刹那的でない何かを持ち得る


映画畑の人間や映画に特別な思いを持った世代の人が、テレビは刹那的といった評し方をする。それは本当だろうか。
テレビでの連続放映型の形態は、雑誌の連載などと同じく、物語の部分にあたる毎話毎話で起承転結、あるいはそこまで明確に分けずとも最低限の導入と引きを求められる。その結果、快楽志向で場当たり的な印象に繋がる。一方、映画であれば、本編全体から物語の一部分としてテレビ相当の時間に切り分けても、導入と引きが必ずはない。これは、視聴者が放映の中途で増加するかどうかの違いによるといっても良いだろう。よって、それをして刹那的と評するのは正しい。
しかし、受け手からすれば作品の総時間が同じであっても、作品の完結を見るまでに経過する時間が異なる。メタ的な発想ではあるが、2時間あれば終わる物語を、2時間で見るのと、1ヶ月掛けて見るのを同じように受け止めることはない。映画の2時間で受け手に感情以外で起こる変化といえば精々、「のどが渇く、腹が減る、尿意」といった程度である。一方、テレビの2時間相当である4話分の1ヶ月で受け手に起こる変化といえば、それはもう人生色々であり、作品に対しての解釈についても次の週までに発見や想像が広がる。更に近年であれば、録画しておいて後で見るといったこともある。よって、映画の方がテレビよりは短い間隔で導入と引きを用意する必要はないが、視聴期間で考えると刹那的であるとも見られる。刹那の連続は刹那ではなかろう。
映画は受け手の時間に対し連続であり、テレビは受け手の時間に対し不連続ながらも連続的に繋げて補完される。ゆえにテレビも刹那的でない何かを持ち得る。

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