悪の軍隊や軍隊内の悪と闘う姿を描いたアニメについて考えてみる。
悪の軍隊とは、自国や周辺地域において、虐殺を行い、強制収容による強制労働を課し、言論やその他諸々の文化的な最低限度の生活を送る権利を封殺している国家やそのような主張を肯定する集団の軍隊であり、軍隊内の悪とは、比較的正当性のある国家や集団の軍隊にあって、自国や周辺地域において、虐殺を行い、強制収容による強制労働を課し、言論やその他諸々の文化的な最低限度の生活を送る権利を封殺しようとする一部、とりわけ腐敗した上層部として描かれるものとそれに従って行動する下級兵士によって表現される。
現実の民主政体においては、軍隊は文民によって統制されていることを踏まえておく。よって、悪の軍隊は背景の国家や集団の文民が悪なので再生不能だが、軍隊内の悪については排除することにより文民が健全に運用出来ると考えられる。
悪の軍隊や軍隊内の悪と闘う姿を描いたアニメにおいて、主人公達は悪の軍隊や軍隊内の悪と闘うことになる。そこでの主人公達の描かれ方は、パルチザンに似ており、一定の正当性を与えられている。まあ、正義が悪を倒す話にすれば分かり易くなるので、当然といえば当然だろう。
また、そこでは悪の軍隊や軍隊内の悪の軍事行動によって、民間人や対峙するパルチザンの面々が負傷や死傷する場合、過剰に異様で残酷な表現がなされる。そして、過剰に異様で残酷な表現に対する嫌悪感を、作品内でそれを実行している軍隊への嫌悪感に摩り替える効果がある。嫌悪感を持つことは純真さの裏返しでもあるのだが、それを都合良く利用されている。
悪の軍隊や軍隊内の悪は正しい抑止力を体現していない。では、正しい抑止力を体現している軍隊はというと、悪の軍隊や軍隊内の悪と闘う姿を描いたアニメでは勿論、他のアニメでもほとんど描かれていない。
このように、正しい姿よりも正しくない姿が圧倒的な状況を続けることで、軍隊そのものを貶めているのだが、これは抑止力の間接的な解体と国軍創設の阻止を体現していると言えるだろう。
このような現象は、子供向けの作品ではほぼ存在せず、専らティーン向けの作品で見られる。流石に、子供に過剰に異様で残酷な表現を見せたり、嘘は付けないのだろうと信じたいのだが、ティーンには過剰に異様で残酷な表現を見せたり、嘘を付けるようなので、子供の理解力を侮っているか、一定の教育を受けたティーンに相乗効果を狙って仕掛けているのかと見るのが筋か。
いずれにしても、酷いプロパガンダだ。ふざけるな、作り手としての矜持は無いのか。多感なティーンの純真を振り回して、変なパルチザン気取りも大概にしろ!

コメント

okm

この日記について

日記内を検索