最低は最高の演出によって許される。
最低といっても、話の内容が論理的に破綻しているとか、論理的に表現された話の内容が面白くないとか、動かすことに力を入れ過ぎて話をそっちのけにして見えるとか、劇判や歌に全てを賭けていて他は駄目駄目とか、CGに力を入れているけど2Dに対して浮き過ぎ、露骨な宣伝にエロ、分かりやすくするため細かく台詞で説明等々色々ある。およそ、統制や調和、それから芸術には程遠い。納期、スポンサー、スタジオワークの負の面がにじみ出たそれらが、商業で作品を作るということの一面なのだろう。
ただ、話の内容が論理的に破綻していても、演出はあって、次の演出のための演出で様式美を作り上げる。表現される話の内容は面白くなくても、論理的な方法、つまりは演出が優れている。動かすことに力を入れ過ぎて話をそっちのけにして見えても、動かしている場面がとにかく格好良く見えるように演出されている。劇判や歌に全てを賭けていて他は駄目駄目でも劇判や歌が気持ち良く演出されていて、記憶に残る。CGに力を入れているけど2Dに対して浮き過ぎていても、CGと2Dそれぞれが持てる技術を使って別個に良い映像を演出している。露骨な宣伝にエロの演出、その露骨さが逆にパターンものとして受け入れられている。分かりやすくするため細かく台詞で説明しているけど、扱っている内容は普遍的なものやその時の今を捉え演出されている。そんな最高の演出によって意味を持たせることで、最低の存在は許される。
統制や調和、芸術的な作品には無い独特の荒々しさとでも言うべきか。そういう荒々しさは人によって好みが分かれるから褒め切れない。だから、作品の評価が難しく、嫌いな人だけが駄作と評する。そして、作品の消費ペースが早いから忘れ去られていく。
忘れないためには、時々思い出すことだ。
最低といっても、話の内容が論理的に破綻しているとか、論理的に表現された話の内容が面白くないとか、動かすことに力を入れ過ぎて話をそっちのけにして見えるとか、劇判や歌に全てを賭けていて他は駄目駄目とか、CGに力を入れているけど2Dに対して浮き過ぎ、露骨な宣伝にエロ、分かりやすくするため細かく台詞で説明等々色々ある。およそ、統制や調和、それから芸術には程遠い。納期、スポンサー、スタジオワークの負の面がにじみ出たそれらが、商業で作品を作るということの一面なのだろう。
ただ、話の内容が論理的に破綻していても、演出はあって、次の演出のための演出で様式美を作り上げる。表現される話の内容は面白くなくても、論理的な方法、つまりは演出が優れている。動かすことに力を入れ過ぎて話をそっちのけにして見えても、動かしている場面がとにかく格好良く見えるように演出されている。劇判や歌に全てを賭けていて他は駄目駄目でも劇判や歌が気持ち良く演出されていて、記憶に残る。CGに力を入れているけど2Dに対して浮き過ぎていても、CGと2Dそれぞれが持てる技術を使って別個に良い映像を演出している。露骨な宣伝にエロの演出、その露骨さが逆にパターンものとして受け入れられている。分かりやすくするため細かく台詞で説明しているけど、扱っている内容は普遍的なものやその時の今を捉え演出されている。そんな最高の演出によって意味を持たせることで、最低の存在は許される。
統制や調和、芸術的な作品には無い独特の荒々しさとでも言うべきか。そういう荒々しさは人によって好みが分かれるから褒め切れない。だから、作品の評価が難しく、嫌いな人だけが駄作と評する。そして、作品の消費ペースが早いから忘れ去られていく。
忘れないためには、時々思い出すことだ。
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