『涼宮ハルヒの憂鬱』第22話
あの繰り返しでのフラストレーションの後にこれほどまでハルヒに対する悪感情を抱かせる展開で涼宮ハルヒ「の」というよりは「に」なのを改めて思う。メインキャラに怨嗟を集めることが作品に対する印象を悪く感じるわけで、それが今後の展開でどういう演出として昇華されるのか。むしろ、それが不発に終わると致命的な気もする。

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