『NARUTO 疾風伝』第111話
幽鬼丸への負い目というよりは、子供に対する大人としての役割を果すために紅蓮が取った行動。柔らかい音楽と強調された椿の花を覆う結晶が段々と結晶としての形を失うことで、紅蓮の辿った運命を悟らせる演出が上手い。だからこそ、その後の暴走と敵味方を問わずに正しい行動を選択するナルトの力強さが一層引き立った。
冗長な回想で過剰に背景となった過去や状況を説明せずに、少しの回想と過去を彷彿とさせるカットと会話で積み立てていく姿勢は、テンポを崩すことなくドラマを作り上げていて巧みだった。アニメオリジナル辺りから、明らかにテンポを崩さずにドラマを作ることが意識されていて、なおかつ人を大事にする作品の姿勢との相乗効果で仕上がりが抜群に良くなっている。
後は、その後の話と次の編への引きを残すのみ。そろそろ、鬼門のサスケ君登場となるだろうが、彼の異端さを包み込むことが出来るかで、これまで新たに積み上げてきたものの真価が問われるだろう。僕は信じている。

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okm

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