日常において、何となく行動することはある。突き詰めれば、何となくにも理由らしきものはあり得る。一方、映像作品では、見えていない部分や見せていない部分を理由としていることがある。けれども、見ている側はそれを知らないので作り手の都合に引き摺られたように見える。また、そういう理由であろうと想像して補完することは可能だが、それが今後も見えないままや見せないままであれば、好意的解釈を行っているに過ぎず、それが出来ないものにとって楽しめない作品となる。原作がある場合や1クールのように尺が短い場合、原作による補完に頼ったり、選択によって切り捨てた部分に含まれていることがある。全話を通して制作されているのではなく、各話を制作し全話を制作している以上、この手のブレが生じることは仕方ない。それも、テレビアニメの魅力だ。
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