ある作品の状況やキャラクターへ付与されたものを隠喩として見た場合、それが都合の良い状態であるからといって、その作品を好む者がそれを望んでいると心理分析もどきでメタ言及されることがある。
その時言及する側というのは、既に自意識の問題や状況から脱しており、過去の自分に言及するかのように言及する者であることが多い。
そして、言及される側は自意識の問題や状況から脱してはおらず、この先それを脱するか脱せない状況に直面するだろう。
要するに、言及する側はどこまでも彼岸から言及し、言及される側は此岸から彼岸へ渡れる保障や能力を、言及する側ができたのだから全ての者ができるだろうという想像の下にのみ担保され、好きである自分とその自分の社会的な評価との板挟みに追い込んでいる。これは、下品で卑劣な行為だ。
加えて、言及する側が自意識の問題や状況から脱していない者の場合、自虐的開き直りや未経験者が経験者の様に一般論を語っているとして、軽んじられる。また、自己陶酔や開き直りとは違う視点で好んでいる者がいた場合には当てはまらず、言いがかりでしかない。
作品が好まれる理由への言及は批評行為だろうが、その作品が好まれる理由に関連した個人の思想や状況にまで言及する行為が批評行為と言えるのか。

・まとめ
このような行いは私的な会話で行うだけなら問題ない。しかし、公共に発信するには、無責任な言葉だ。よって、そういう行いをする者は地獄の火の中に投げ込む者だ。

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