メモ-現代的作品との対比による過小評価-
2006年8月17日 メモ現代や現実的な題材を使った作品の中でも、現実的恋愛を含んだ作品を現代的作品と定義する。それに対して、ファンタジーやSFや現実的に考えると都合の良すぎる相手との恋愛を含んだ作品がある。
今日のアニメにおいては、後者に分類される作品の方が圧倒的に多い。そして、後者の作品は、それを支持する者の抑圧された欲望や願望を仮託しているので、気持ちが悪いと否定されることがある。そういう否定をする者が高評価を与える作品は、(あくまで、ネット上や私個人の経験上でだが)前者に分類されることが多い。
確かに、後者の作品に対し、そのように感情移入するという側面は存在する。だが、前者の作品に、そのような側面が全く存在しないということはない。また、それらの作品をメタ的に見るならば、現実の自分に通ずる何かが存在している。
つまり、前者の作品に感情移入して感動することと、後者の作品に感情移入して感動することに大差はない。それが、マジョリティ的であるか、マイノリティ的であるかによって、肯定や否定されているのが現状である。
最後に、前者と後者の現実からの乖離具合の差をメタ的に見るならば、それが、マジョリティとマイノリティの現実での充実具合や抑圧具合の差であることを指摘しておきたい。
今日のアニメにおいては、後者に分類される作品の方が圧倒的に多い。そして、後者の作品は、それを支持する者の抑圧された欲望や願望を仮託しているので、気持ちが悪いと否定されることがある。そういう否定をする者が高評価を与える作品は、(あくまで、ネット上や私個人の経験上でだが)前者に分類されることが多い。
確かに、後者の作品に対し、そのように感情移入するという側面は存在する。だが、前者の作品に、そのような側面が全く存在しないということはない。また、それらの作品をメタ的に見るならば、現実の自分に通ずる何かが存在している。
つまり、前者の作品に感情移入して感動することと、後者の作品に感情移入して感動することに大差はない。それが、マジョリティ的であるか、マイノリティ的であるかによって、肯定や否定されているのが現状である。
最後に、前者と後者の現実からの乖離具合の差をメタ的に見るならば、それが、マジョリティとマイノリティの現実での充実具合や抑圧具合の差であることを指摘しておきたい。
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