昨日、音楽についての描写の映像化による困難さについて触れたことをまとめてみよう。
仮に、「多くの人を感動させる音楽」あるとする。
・文章の場合
修飾語等で音楽を詳しく説明。出来るのは、言語的に表すこと。
・漫画の場合
演奏や歌唱者を描き、台詞等で相互補強的に説明。出来るのは、言語的かつ視覚的に表すこと。
・映像の場合(今日的に考えて、音ありとする)
演奏者、歌唱者の行動やその音楽や台詞を撮る。出来るのは、言語的かつ視覚的かつ聴覚的に表すこと。
それぞれが表せる範囲で、実際に受け手にそう感じさせ得るにはそれぞれの範囲で一定の領域にまで達していなければならない。つまり、表せる要素が増えるほど、表さなくてはならない要素が増えることになる。
例に挙げた音楽は、聴覚によるものなので、言語的な台詞や視覚的な質感や画で説明しても、聴覚的にそれらの説明に値すると感じないなら、それらの説明は嘘っぽくなってしまう。
・まとめ
フィクションをリアルに近づけたり、リアルに感じさせるのは難しい。
仮に、「多くの人を感動させる音楽」あるとする。
・文章の場合
修飾語等で音楽を詳しく説明。出来るのは、言語的に表すこと。
・漫画の場合
演奏や歌唱者を描き、台詞等で相互補強的に説明。出来るのは、言語的かつ視覚的に表すこと。
・映像の場合(今日的に考えて、音ありとする)
演奏者、歌唱者の行動やその音楽や台詞を撮る。出来るのは、言語的かつ視覚的かつ聴覚的に表すこと。
それぞれが表せる範囲で、実際に受け手にそう感じさせ得るにはそれぞれの範囲で一定の領域にまで達していなければならない。つまり、表せる要素が増えるほど、表さなくてはならない要素が増えることになる。
例に挙げた音楽は、聴覚によるものなので、言語的な台詞や視覚的な質感や画で説明しても、聴覚的にそれらの説明に値すると感じないなら、それらの説明は嘘っぽくなってしまう。
・まとめ
フィクションをリアルに近づけたり、リアルに感じさせるのは難しい。
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