現実逃避装置にあたるフィクションを楽しむ行為は全て現実逃避行動であり低俗なのか。

・現実逃避装置にあたるフィクションとあたらないフィクションの違いが解らない
この最重要である定義が不明。

・何らかのフィクションを楽しむという行為は現実の己の当事者性を省みることなく行えるのか。また、行えないのならその理由は。
これも言及されていない。

・誰かが何かを楽しむということと自己を正当化するという行為とが等価になる理由
定義なし。

・そもそも、現実逃避とはどういうことを指すのか
一般通念や常識、もしくは、ある学問上の入門レベルの概念であることを理由にか、頑なに言及なし。

未定義の上に、個人的な感覚によるものだけで何かに言及することが論だとか品評だという奴らは論理を弄ぶ悪党なり。
「面白くないとか」、「価値を感じないとか」、「こんなものを楽しんでいるお前達は自分が現実逃避していることに気付いてもいない低俗で、真理の探究や求道の気持ちもないと思う」とか「こんなことにも気付かないお前らは何なのだ(恐らくは低俗であるとか下であると見なす為に)」とか「素直に自分の身の丈にあった人生の選択を行っていれば、そんな現実逃避装置に引っかかることはない」といったことを難しそうな物言いで誤魔化して高尚そうに書き綴る。
こういう感情を表現したいのなら、そのまま書けばいいんだよ。
それを、あえてつまらない文章で書く奴らは地獄の火の中に投げ込まれろ。
って、私が書いているこの文章はそのつまらない文章以下の文章なんだけどね。
というわけで、私が地獄の火の中に行くことは確定しました。

・まとめ
論理的に展開しただけでは論理的な文章にはならない。文章内の用語やその概念の定義をしなければ透か透か。
見下そうが勝手だけど小賢そうなふりしてそういうことを言うのはやめよう。
その素直になろう言説に習うなら、罵詈雑言をそのまま書けばいいんじゃないかな。

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okm

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