悪戦苦闘

2011年1月11日 1話雑感
『Rio Rainbow Gate!』第1話
いかにもといった雰囲気のリゾート地の街並みから始まり、胸というか性的な特徴全般を強調したディーラーのリオに対して、モロではなく衣裳やレイアウトでフェチを見せるといった感じ。一応、もう一人の主役であろう少女の目線や小動物を追いかける展開で、ローアングルに品良く意味付け出来てはいた。
ディーラーとしては、技なのか超能力なのかは分からないが、現れることで客が勝つジンクスを持っているようだ。で、肝心の真剣勝負の場面はというと、ポーカーで相手の捨て札がリオの手札にあったことや最弱のワンペアで勝ったことからすると技のようだが、技を出していたであろう場面はよく分からない心象風景として描かれていて分かりにくかった。
お洒落に見せようとすることとエロや駆け引きの見せ方で苦心が伺える。まあ、あの服はノーブラで着とったと分かっただけでも良しなのかな。とりあえず、エロは出し惜しみなしでお願いしたい。
『魔法少女まどか☆マギカ』第1話
ひだまり調の原案を活かしてアニメ用に設計したデザインの可愛らしさと、明るい家庭と楽しそうな学園の風景に、何か暗くて面倒臭そうな戦闘関係の世界背景を一通り見せる。
いかにも魔法少女作品の第1話といった展開で魔法少女作品ではあっても、少女向け作品ではない。バンクシーンでキャラに対し下から上に振るカメラワークは、子供を見るには性的な印象を受ける。事実、他より胸を強調したキャラのバンクで胸の大きさを意識させた。まあ、そういう意味では大きな子供向け作品としては正しいのかもしれない。
『遊戯王5D’s』第142話
変な機械のせいでライフの減少が命も減少させる状況で、ライフ0での死亡から回復する効果で命も復活して見える。残念ながら、命を安易に扱っていると感じるものの、大詰めが近づいてきただけあって、久しぶりに話の展開が面白くなってきた。
まあ、デュエルの内容そのものはというと、新カードの効果次第ではプレイミスな気もしたりと微妙だけど、話が面白く終わりを迎えられそうなので、作品にとっては良い傾向だ。
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http://69541.diarynote.jp/201101051904283650/


まとめ
・映画は一回、テレビアニメは複数回
・時間を共有することで感動を生み出す
・感動することは同じでも、一回の時間と期間を経て生み出されるものとは異なる
・単行本と雑誌の関係に似ている
・視聴の習慣化と習慣に対する愛着といえる


時間は一回全部を見るのに掛かる30分とか60分とか90分とか120分とか。記憶媒体による分割視聴を例外と考えると、時間の拘束はあるが、見終わるまでの時間一回に限られる。
期間は週一で一クールとか二クールとか四クールとか。記憶媒体による分割や連続視聴を例外と考えると、放送中の一定期間を通して個々の話数一回を見る時間が必要だ。
映画だと60分から120分の間位。一般的なテレビアニメの一回30分よりは長い。映画は連作の場合でも制作期間が長いため、毎週とか一定期間といった視聴にはならず、印象は現在上映済みの個々の作品に対して向きやすい。
一方で、テレビアニメは一回30分が一般的で映画よりは短い。テレビアニメは基本的に毎週放送であるため、作品全部を見るのに一定期間の視聴が必要となる。結果、個々の話数の印象が合わさって作品の全体の印象へと向く。
両者に共通しているのは、人生の一定の時間を作品の放送と共有して感動へと繋げる点だ。異なるのは、個々の話数毎といった単発の時間に対する印象と、個々の話数を一定期間分集めたシリーズ全体の印象とだ。つまり、テレビアニメにおいて、個々の話数は映画的だが、作品全体となると映画よりも沢山の時間を分割して視聴していることになる。よって、テレビアニメ独自のものだといえる。例えるなら、長年の愛着とでもいうべきか。もしくは、単行本と雑誌と考えると分かりやすいかもしれない。いわば、テレビアニメのような一定期間の連続放送の視聴は、続けることで習慣化して習慣に対しての愛着が湧いてくる。
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以前書いた内容
http://69541.diarynote.jp/201008182049518169/
の拡張が今回の内容

まとめ
・表現とは時間の描き方
・時間全部か、時間の切り取りかは大して関係ない
・人間は、実際の関係の有無にかかわらず二者に関係性を見出そうとする
・描くとは、描かないで想像を喚起することでも出来る
・芸術性が高まると分かりにくくなる
・商業として、多くに訴える分かりやすは大事
・制約によって描けなかったことで、描かないで描くことが追求出来た


およそ全ての表現において、時間は逃れられない要素であり重要だ。
絵画の場合、瞬間を一枚に。漫画の場合、瞬間の連続を複数のコマに。映像の場合、瞬間であるショットの連続を複数のカットに。音楽の場合は、演奏時間に対し音をどう置くか。文章の場合は、作品内時間を切り取り、読み手の読み時間に対し文字でどう置くか。
共通しているのは、いわゆる行間や前後にあたる部分が受け手の想像力によって埋められる点だ。また、時間全てを描いたか、切り取った時間かに限らず、前後を想像することで関係性が見出せる。それは、関係の有無にかかわらず、二者に関係性を見出そうとする人間の習性を活かしたモンタージュ効果を考えると分かりやすい。つまり、全体のどこまでの部分を描くのかとは、全体のどこまでの部分を描かないのかとほぼ同義である。
芸術的に洗練された表現は、受け手の多くに分からせるのが難しくなる。反対に。商業的には受け手の多くに分からせることが重要だ。描き過ぎると芸術性が失われ、描かなさ過ぎると商業性が失われると考えると分かりやすい。対して、予算面と技術面に商業として利益を上げることが加わり、適度な芸術性と商業性を兼ね備えていった結果に今日のアニメがある。
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物語の要素は大きくまとめると以下の三つ。

・情景描写
小物や風景といった背景原画上のもののみならず、設定や世界観といったものを形作るあらゆるものを見せる。

・心理描写
ある場面でのあるキャラクターの心理。所作やカメラワーク、色や図形、説明台詞やナレーション、心の声として口パクのないOff台詞等で表現される。

・問題解決
物語の多くは、問題の発生と、問題に対する反応や解決を見せる。絶対に必要な訳ではないが、分かりやすい見所なのは間違いない。むしろ、ないと物語らしく感じないことも多い。
はじめに
http://69541.diarynote.jp/201101050106553898/

表現と時間について
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時間や期間が生み出すもの
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流れと整合
http://69541.diarynote.jp/201101152036036286/

必要条件、十分条件で見る努力と勝利の因果関係
http://69541.diarynote.jp/201101251652597369/

映像化による印象の増強
http://69541.diarynote.jp/201101291935001523/

物語三大要素
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原作や他媒体同名作品との関係
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お人好し大国と普遍的価値観
http://69541.diarynote.jp/201102050741175022/

僕の考えた最強のアニメ-力と運用の哲学-
http://69541.diarynote.jp/201102130158086591/

キャラクターへの愛着やその発展系
http://69541.diarynote.jp/201102201939147597/

OPやED
http://69541.diarynote.jp/201102211415359424/

分かりやすさと芸術性
http://69541.diarynote.jp/201102221836157528/

分かりやすさと非公開情報
http://69541.diarynote.jp/201102281601041123/

受け手の審美眼と作り手の矜持
http://69541.diarynote.jp/201102232215288192/

おわりに
http://69541.diarynote.jp/201102281614413374/
僕は、これまで飽きもせず沢山のアニメをリアルタイムで追ってきました。その中で面白いと思った作品の共通点や特徴を再考して、僕の考える最強のアニメを暫定的に結論付けようと思いました。不定期になると思いますが、暇な人はテーマ「僕の考えた最強のアニメ」を追っかけてみて下さい。なお、後の内容を受けて前の内容を変更する場合があると思われますが、あくまでまとめながら推敲の過程も含めて提供するものとお考え下さい。また、学術的に既に定義されているものは考慮せず、独自に定義して考えます。
以上、予告篇、おわり。

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『劇場版NARUTO-ナルト-疾風伝・火の意志を継ぐ者』
テレビ版の相互補完的な作品であると同時に、この作品自体に欠けているものを露呈させている。
強過ぎる敵の登場に対し、一人の命を犠牲にすることで、忍びの里、ひいては世界を救おうとする。対して、ナルトは命令に背いてでも里の仲間も世界も救おうとする。どちらが正しいと言い難い命題ではあるが、この作品では問題に対してナルトが持ち前の諦めないど根性でぶつかることで結果が付いてくることが多い。今回もそんな感じなのだが、強過ぎる敵を倒せる公算や理が全く見せられないままで、運よく世界は救われる。意図的に欠けさせているのかもしれないが、私には話の都合に思えてしまう。また、勝てる公算が生じるまでの少なくない時間、世界は危機に晒されており、その可能性に対し無自覚に突っ込んでいく姿が、高慢に見える。
最終結果への理詰め。それがナルトに欠けているものだ。
クレヨンしんちゃんが色褪せていないと思う理由。


例えば、ひろしが会議用の書類を忘れた場合。
ちょっと昔だと、完全に私用電話とは言い難いが、申し訳なさそうに社内の固定電話から電話する。今は、携帯電話でさほどの後ろめたさもなく電話する。
例えば、アクション仮面を見る場合。
リアルタイムに走って帰ることは今も昔も変わらないが、今はDVDが登場している。
それにもかかわらず、登場人物が増えることはあっても、年を取って成長はしない。逆にいえば、年を取って成長はしないが、文明の進歩は表現される。これは、いつでも放送時の子供や大人を最大公約数的に表現しているといえるだろう。時が経っても、今現在の文明の進歩に合わせた子供や大人がそこに登場するのだから、色褪せて見えない。
パソコンは、インターネットが出来て、子供がいる以上は困るので登場しないかもしれないが、3Dテレビが普及すれば登場する日もそう遠くはないだろう。
日本におけるアニメやドラマの主流と反主流について。


まとめ
・ドラマの人気者や綺麗所集合とアニメの萌え偏重って意外と似てますぜ
・主流派とは売り上げに貢献しやすそうな方のこと
・キャラクターの造形や性格といった属性重視が主流派
・物語や演出といったキャラクター周辺要素の整合性重視が反主流派
・両者とも満たす作品は滅多にない


パッと見の日本のドラマの印象は、演者の名前頼みで、恋愛模様を混ぜつつ、演者のアップでBGMなり主題歌を流す。そんな感じで、フレームワークなりの演出が補強するやり方ではない。それはアニメでも同じ感じ。ドラマの場合、演者がキャラの見た目も兼ねており、演者のイメージに内容が制約されることもある。アニメの場合、演者とキャラの見た目は分業で、演者のイメージによる制約を受けにくいし、カメラワークも物理法則の制約を受けにくい。両者に共通しているのは、キャラクターに相当するものの持つ属性への親しみが物語の面白さに変換されている点にある。つまり、作品の評価が、キャラクターの属性への親しみのみ、もしくは中心に考えるのが主流派。ただ、物語を形作る話や演出の出来や構成もあればなお良し。
一方の反主流派は、キャラクターの親しみだけでは満足せず、物語を形作る話や演出の出来や構成を作品の評価と考えるといったところ。当然、両方が充実している必要の分、要求水準が高くて、あまりキャラクターに親しみが無くても高評価となる。だから、私が高評価を与える作品の多くが売れない作品に偏っている訳だ。(って、まずお前が買えよ)
よって、売り上げに貢献しない反主流派の意見に惑う必要無し。それが商業なり。

2011年1月1日 反主流派よりアニメに愛を込めて

2010年総括

2010年12月31日 就職・転職
年内放送終了作品の中から改めて振り返りたい作品を振り返る。

『ミラクル☆トレイン~大江戸線へようこそ~』
まあ、そういう系統の要素で作られているものの、読み筋の外し方については流石で面白かった。

『フレッシュプリキュア!』
デザインこそ変わったものの、話の内容自体は原点回帰してシリーズを踏襲していた。

『とある科学の超電磁砲』
説教するにしても、根っこの部分で思いやりに欠けて見えたら拙いかな。

『銀魂』
間の取り方が好きだった。充電かと思ったら、本当に復活するようで嬉しい限り。

『しゅごキャラパーティー!』
作品であっても縁の切り方は重要で、ただ終わる以上のものを残してくれたと思う。

『のだめカンタービレフィナーレ』
良質なシリーズの完結はいつだって喜ばしい。

『バカとテストと召喚獣』
救いようのない馬鹿だと見るに堪えないが、馬鹿の振りに見えても微笑なところを匙加減が上手かった。

『戦う司書 The Book of Bantorra』
駄目かもしれないけど見所はあるので注目している作品が復権するってのは、本当に滅多にない。だからいつも以上に嬉しい気分。

『怪談レストラン』
軽さの中に訴えるものがある。それって良いね。

『聖痕のクェイサー』
色々やり過ぎだ、最高に。

『薄桜鬼』
『薄桜鬼 碧血録』
少々複雑ではあるが、何で新撰組が好かれているのかは分かった気がする。

『おおきく振りかぶって~夏の大会編~』
毎年高校野球を応援する理由が少し分かったような気がする。

『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』
解釈と見せ方は気になる部分があるものの、大筋において大作が大団円を迎えたこと、喜ばしい。

『四畳半神話大系』
話の仕掛けを映像も交えて全編通して見せる。お見事。

『バトルスピリッツ 少年激覇ダン』
話の内容もだけど、核となるゲームそのものを面白く見せる重要性が確認出来た。最後に卓上に戻るのも良心的。

『祝福のカンパネラ』
エロがあるなら出し惜しみすな。

『家庭教師ヒットマン リボーン』
思った以上に気に入っていた。

『会長はメイド様!』
縁遠いはずの少女漫画的色恋の何を楽しんでいるのかを再認識出来た。

『夢色パティシエール』
『夢色パティシエールSP プロフェッショナル』
2010年代を振り返って、きっとあって良かったと思える作品。それが2010年に現れたことは、嬉しい驚きに溢れている。

『けいおん!!』
少女達の日常を愛玩動物のように愛でる。その日常をらしく見せるためには、あの映像の作り込みがあってこそ。

『そらのおとしものf 』
出し惜しみなし。

『もっとToLOVEる』
覚醒。

『侵略!イカ娘』
侵略達成。

『心霊探偵 八雲』
原作ありとはいえ、これほど現代を舞台に人間の死と向き合ったアニメもないだろう。

『ヨスガノソラ』
演出上の意味があるなら、アニメで濡れ場をやって何が悪いか。

『それでも町は廻っている』
判押しの部分はあっても、珍しい判なら嬉しい気分。
『それでも町は廻っている』
前時代的な商店街の喫茶店を中心に繰り広げられるちょっとお馬鹿で楽しいやり取り、脇を固める面々が演者も含めて普通なんだけど普通じゃない絶妙の渋さが光る。悲喜交々あるけど、社会の一角の小社会である町はそれでも廻っている。人間の代替可能な面と大体不可能な面を硬軟、緩急で上手くまとめていた。まるで少し前まで近所の喫茶店で繰り広げていられたかのようなホッとするやり取り、大好きでした。
『荒川アンダーザブリッジ×2』
新キャラも増えつつ、現実の河川敷を舞台にしていることを忘れさせる登場人物が繰り広げるコント満載の作品だった。で、色々設定やキャラが増えたものの、結局の所、作品の仕掛けの肝であるニノが金星人なのかどうかが保留のまま終わった。どっちにしても大団円を迎えられると思えるように描かれている点は良い。でも、どうしても消化不良ではある。
『FORTUNE ARTERIAL 赤い約束』
吸血鬼としての吸血衝動で引っ張りまくったが、やっと見つけた居場所である学園での楽しい共同生活はこれからだEND。と、これからの生活でおいて発生するであろう問題は絆で解決していけそうな予感を漂わせるだけの終わり方。その辺のもっと将来的な部分も含めた学園生活の後はゲームではあるのかもしれない。ならば、原作ゲームに誘導するという意味で面白い試みだと思う。
OPの血の赤を基調とした見せ方は良く、キャラの絵も統一を保てている方だった。ただ、単体で考えると、後日談の尺が少なくて物足りない。眷属になるにしろ、乗り越えてならないにしろ、幸せな二人を見てニヤニヤしたいっす。
『ぬらりひょんの孫』
妖怪であることを隠しながら続ける学園生活に忍び寄る不穏な気配と三代目としての才覚を見せるまでの前半。
同じように、大妖怪の血脈にあり、多くの妖怪を従えこそしているが、自分を慕う仲間を裏切って殺すことで得られる恐怖と互いに信じることで得られる畏怖の違いが対比になっていく後半。
総集編をそれぞれの最後に用意しつつ、「おそれ」に対する解釈の違いで持って生まれた器が表現されていた。その上で、主人公が力への恐れによって抑えていた真の力を開放して勝つ。要は、強さと憐みが相反するものではないことを見せるのに終始していた。
そんなこんなで、本格的なバトル路線を予感させつつ幕引き。続編でバトル路線になったとしても、根っこの部分で男気があるので大丈夫そうかな。墨絵とBGMを気に入って見てた。
『たまごっち!』第61話
Aパートは、放送委員として放送設備大改造の話。改造の結果出来上がったミニTAMAX-TVは、放送設備以外にも、くちぱっちの話を真に受けた全自動食堂、女の子達の憧れの豪華衣裳部屋、本物同様の展望室。流石まめっち、小学生が本業なのか副業なのか分からないぜ。いざ放送の段になって、密かに噂放送の機会を伺っていたうわさっちが、移動放送用のロケットボタンを間違って押して彼方へと飛んで行った。外観がそれっぽかったからもしやと思ったが、相変わらず付けたがる不要な機能で、分かっていても笑える位に本格的なロケットだった。で、飛んだ先でスぺブラの住処落ちと。そういうことなら、たまカフェの玩具のこれ版が出るのかなと。
Bパートは、たまステっちのお見合い話。見た目筐体がお見合いの時点で、かなり間違っているような気もするが、勧める為にやって来た親族の面々を見ると、間違っていたのは私だったようだ。ガシャポンの両親に、カードダスの三兄弟が、二段重ねと三段重ねの姿で登場する販促で反則とは……。で、テルリンに婚約者役を頼んで、冴え渡る声色やメール機能を見せつつ嘘を告白するも、気に入られてしまう落ちと。流石に、今年一番笑ったかも。まさかここにも年末の魔物が潜んでいたとは……。
『心霊探偵 八雲』
死者の魂は思いの塊であり、特殊な眼を持つ八雲にはそれが見える。勿論、八雲の眼を通して描かれているから、こちらにも見える。が、それは本来見えないものであり、死して残るものかは分からない。だが、死者と縁のある人々の思いと重なって描かれる様は、魂以外の形で死してなお残るものであろう。事件を通し、晴香を通し、人との関わりに光明を見出していく八雲同様に、その姿や死してなお残るものを通して見ているこちらも救われた気持ちになる。現実に近い世界の現実的な死因で人の死を扱う以上は、暗くならざるを得ず、楽しさや面白さとは少々違った雰囲気になるが、素直に悲しみ、受け入れ、生きている人々で分かち合う。それがとても良かった。
『ヨスガノソラ』
まあ、諸々の危険性はあるものの、別に高校生がセックスしようと、リアルっちゃリアルだ。アニメで濡れ場をやったら駄目ってこともないし、愛情表現におけるお肌の触れ合いとしてこの上なく簡易で強烈なのは間違いない。光や影で隠すようなレイアウトでその場面を描くべきだったかは分からないが、行為が話に深みを出していたのも確か。逆風の中、王道を行く技あり。まさか、のENDに行ったが、Cパートがあったことで和らいだ。このCパート、番外ながら実質的に毎回の〆だったことで、独特のお馬鹿で楽しい雰囲気が本編の深刻な雰囲気を和らげていた。構成としては番外なのだが、機能としては本編だった。技あり。合わせて一本。
『夢色パティシエールSP プロフェッショナル』
菓子職人の夢を目指し、美味しいものを食べて喜んでもらう努力と工夫を重ねた中学時代の無印に対し、高校生となり現実に店を運営しながらそれを実現していくことになった本作。成長したいちご達の姿は、未来の視聴対象者の姿の暗喩でもある。そして、高校生の夢ともなれば、進路の側面は避けがたい。理想と現実がぶつかり妥協がちらつく中で、出来る範囲で出来ることを最大限に工夫し頑張る。それは原点である食べた人の喜びのためでもあり、経営のためでもある。だからこそ、伴う結果が妥当に見える。恋愛の側面も、高校を卒業する年齢の男女が結婚出来ることを考えれば、避けて通ることでもあるまい。ぎこちないながらも、各々が夢を現実にするために歩き出した姿として上手くまとめていたと思う。それと、本来ミニコーナーは本編の感想や評価と考えるべきではないと思っているが、最終回で監修の青木さんから若人達へ送った「ライバルとしてパリに出店してくる日を楽しみにしている」趣旨の発言が良かった。
一様に頑張る可愛らしいキャラクターを通して、理想と現実は必ずしも対立するものではなく、共存出来るものだと強く訴える大人の矜持を見た。堂々の俺殿堂入り。ありがとう、お疲れ様。

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