メモ-OPの分類-

2006年5月18日 メモ
・前奏、歌い出し
この間にタイトルが出る。
一番多いと思われる。
割と間延びしがち。

・歌い出し、間奏、歌い出し
間奏と2つ目の歌い出しの間にタイトルが出る。
最初の歌い出しが早く、テンポの良いスタートになる。

・その他
後奏の時にタイトルが出る。
フェードアウトの場合が多いので余韻が残る。

PS3

2006年5月15日 メモ コメント (2)
何でも出来る機械であり、ゲーム機というよりはゲーム機能付きと言うべきか。
既にBDプレーヤーではあるわけで、HDDレコーダーの機能も有すれば、正に革命だ。
手軽で多機能な2台目録画機器に成り得るのか。
今後の動向が気になる。

嫌だな

2006年5月13日 メモ
・キャラクターの消費
キャラクターへの愛着等

・ドラマの消費
話の面白さを楽しむ等

・画の消費
作画の出来を楽しむ等

大差ないぞ。

メモ

2006年5月9日 メモ
ニュートン力学の第一法則、第三法則。
これらが出来ていないシーンが多い。
出来た方が完成度は高まると思われる。
走ってきて急に止まったら、慣性が働くだろうし、ぶつかれば、反作用が生じるだろう。
そういう細かな所まで行き届いている心意気のある作品が好きだ。

メモ

2006年5月8日 メモ
ゲームとアニメの違い2

ゲームではターン制やそれに類する行動順で処理出来る。
アニメでそれらを再現しても、再現しているという行為自体の面白さはあるだろうが、純粋にそれ自体が面白くはない。
それゆえか、アニメではそれぞれが動いている場合が多い。
必殺技の応酬等も見受けられるが、この場合は一度静に転じてから動に転じる場合が多く居合いに近い。
ゲームでは何回か攻撃して致死ダメージが判定されれば、敵を倒せる。
アニメだと決定的な一撃が決まって倒せる場合が多い。

・まとめ
アニメの戦闘は時代劇に近い。

甘い

2006年4月30日 メモ
(価格*売上数量)-費用=利益

アニメのDVDが高いと文句を言う気持ちは分かるが、仮に他の条件が同じで6000円が3000円になったとしたら、単純に倍売れないと同じ利益にならないんだけど、その辺を度外視して消費者利益を声高にしても無駄だ。
価格と需要の関係が解らない以上は博打なんて誰もやらないと思われる。

メモ

2006年4月29日 メモ
ゲームとアニメの違い

・選択の有無
両方とも、話の筋は既に設計されている。
ゲームの場合は受け手の選択によって変化することもある。
アニメの場合は受け手の選択はない。

・話の組み立て
ゲームの場合は多少の説明不足や世界設定や舞台設定に人物設定といったもっと極端な説明不足があっても、ゲーム性やクリア目標によって補完し易い。
アニメの場合は多少の説明不足を意図的に伏線とすることも出来るが、極端な説明不足は補完がこじ付けに近く唐突な印象に繋がる。

ゲームのやり方のままにアニメをやるなら、キャラクターや話自体に好感が持てるかどうかしかないなと思った。

尺度の相違

2006年4月26日 メモ
原作付きアニメに付き物の原作の良し悪しは、シナリオやキャラクターの好みを見極めるのに、ある程度役に立つだろう。
ただ、コマや行間の移動以上の動きと音が加われば、それは殆ど別物だろう。
その段階での、ちょっとした変更によって、感じ方は変わる。
しかし、その良さをいくら説こうと、原作がつまらないで思考停止される。
自分の薦め方が悪いのだろうか。
第一印象を覆すのは困難だ。

メモ

2006年4月20日 メモ
・世界とそれを成り立たせる条件や設定
人や物が存在しうる為に必要なSF、ファンタジーといった条件を満たす為の設定。
・世界に登場する事物
ある世界において、存在可能かつする事物。


これらは、従属的な関係ではなく、それぞれが相互補完的に成り立つようだ。
ある条件の世界にはある属性を持った事物が存在し得るし、ある属性を持った事物が存在するとその条件を満たす世界が存在する。
魔法を使える者が存在するには、魔法の存在を設定しなければならない。または、魔法を使える者がいるならば、そこは魔法の存在する世界だ。よって、他に魔法を使える者が存在する可能性があるといったことが言える。
ただ、魔法のようなものは、魔法が存在するから魔法が存在するといったトートロジーに陥り易い。
よって、SF設定などで、補助されている場合もある。

さらに、普通の定義が解らない状態で、普通でないを定義する場合がある。
また、普通でないものを存在させることによって、普通でない世界と理解させる場合もある。
これら普通の定義は、ある種の知識や感覚や経験、またはそれらを用いた判断でもって補完されている。よって、それらの無い者には理解しがたい。
さらに、自分の理解しがたいことや、理解しがたいことを理解している者に対しては不快感を抱くこともある。

まとめ
・ある種のアニメを理解するには一定の知識や感覚や経験を要する。
・ある種のアニメに対して、慣れていない人は不快感を抱くことがある。それを楽しむ者に対しても同様に不快感を抱くことがある。
ドラマをアニメーションという手法で見せるアニメなのか。
キャラクターのプロモーションをアニメーションという手法で見せるアニメなのか。前者の成功によって、後者も同時に満たす作品もあるけど、失敗もしやすいと。要するに、商業という面ではリスク回避で後者のみに特化した作品が増えていて、ドラマを見たい人が文句を言っていると。まあ、俗に言うジャリアニメからの脱出の逆の現象が起こっていると言えそうだ。
僕はジャリアニメだろうと萌えアニメだろうと、それに見合った上手な話の展開があると思っているし、それが成されている作品はその点を褒める。でも、そういう作品に付き物のお約束要素が鼻に付いて、初めから見ない人や文句を言う人がいる。そういう人と話す時は初めに、ドラマを目的としないという目的に対する考え方の違いを提示しあっておくべきだ。目的の是非に目的に対する作品の運び方の是非といった異なる考え方を提示し合うと、噛み合わないばかりか、無駄に揉めるだけだ。あと、キャラクターのプロモーションのみを目的としたアニメを楽しむことに対する理解はあるつもりだ。あまり共感はできないが、それはそれでありだ。

・まとめ
商業作品において、企画段階でリスク回避が念頭にあっても、出来上がったら面白いこともある。
相手の考え方を確認しておかないと、伝わらないばかりか、窮地に追い込まれる。
僕の中では理解≠共感。
個人的な感覚だけで、纏めてみた。
個人的な感覚ゆえに妥当性を担保するものは何もない。
それでも、言語で表現したら、思った以上の量になった。
個人の感覚による認識の誤差を埋めようとしたら、難解そうな表現になった。
ただ、言ってることは大したことじゃない。

面白さについて
・表現そのもの
表現媒体は様々だが、主にその媒体特有の視覚表現。

・表現の論理性
端的に言えば物語とそれを見せる為の技術。

基本的な総合力はこれらの総和と見た。
それぞれの絶対的な面白さは大事だ。
また、総和の大きさに寄らず、要素それぞれの比率の良さにも面白さがある。
表現そのものによって描かれた内容や論理によって表された内容、そのものを記号的に扱うことも可能である。
それは現実にない事象であっても同様だ。

翻ってアニメの面白さについて
・アニメとは
映像表現の技法。
現実をそのまま画で書くこともできるが、現実で手間のかかることや実現不可能な画を動かせる。
つまり、他の技法より金と手間がかからない。
加えて、確固たる技術や制作体制を確立できたことがそれを後押ししている。

・動き
たとえ、物理法則を無視していようが、見ていて圧倒的に面白い動きというものがある。
こればかりは個人の感覚に寄らざるを得ない。
ただ、あるアニメの動きを面白がる人が多いという傾向のようなものは見られる。

・物語や世界・舞台・登場人物(人以外や擬人等も含む)の設定
誇張した場面や設定等の実写での実現不可能なものや実現しているように見せるのに手間のかかる題材でも、軽々と表せる。
また、映像以外によって物語られている作品を映像にすることや映像化の容易さもある。
ゆえに独特の世界や舞台、登場人物を持つことが可能。

・ジャンルや周辺ジャンルでの蓄積
ある状況や場面で利用された表現法をもってして、記号的に表現を簡略化した。
また、主に漫画との間で相互的に簡略化を行ってきている事実の蓄積と、それらの中のいくつかが受け入れられたという事実の蓄積。
そこから、簡略化そのものさえも楽しめる。
そうして、簡略化を楽しんだ事実の蓄積も次の楽しみへと繋がる。
多用されたり、時代遅れとなったものや、時代を越えてなじんだ表現をキャラクターに自己言及させたり、パロディーとして表現する。
そいう知識のある者に向けた、内輪向け的な内容も解る者には面白い。
これはアニメ以外でも見られることだ。

メモ

2006年4月12日 メモ
攻略情報の閲覧が如く、原作・公式サイト・記事を読まないと理解できない作品がたまにある。
意図的にそう作っているのならまだ良いが、結果としてそうなっている、そうならざるを得ないのかなと。
説明すべき事柄や、できる事柄が増えると取捨選択のセンスがいるなと思った。
それが媒体の違いによる論理の違いかなと思った。

普遍性とは

2006年4月4日 メモ
ツンデレがフィーチャーされて久しい昨今だが、ツンデレはあくまでもキャラクター属性の認識であって、それ自体が物語を作るわけではない。キャラクターを作って終わりということはなく、そのキャラクターを作品世界に放り込んで上手く回すことが魅力となる。
「ツンデレキター!」はインパクトの表明も含んでいるわけで「=作品が面白い≒需要」という程には至らないものと思われる。熱血少年や兄貴なんてのも同様だ。
話を上手く作ればキャラが立つ。しかし、キャラが立っていることを前提とした作りの話は意外と破綻しやすい。如何にして、キャラクターを視聴者に定着させるか。幾つかのパターンが見られるので、またの機会に纏めてみよう。
終わり時ってのは必ずあるのかな。
どうも、最終目的のはっきりした作品がだらだら続いてると思うことがある。
強い敵が出てくるとかじゃなくて、どんどんマンネリにやっていく。
確かに面白いんだけど、終わり時に終わるからこその物語なのかなと思った。
だって、主人公が渾身の一撃で勝ったのに延々と続くって、見ていてちょっと辛い。
出来が良いからなんだけど、贅沢な意見だ。

メモ

2006年3月18日 メモ
目で見る動きを連続した絵として認識している。
連続した絵を動きとして認識させる。
動に非連続な静を加える。

宇宙空間では音が伝わらない。
では、それを映像作品で再現すればより現実的な筈だ。
しかし、それで面白いのかというと、余程上手くやらない限りはつまらないはずだ。

論理的に両者が別物だと言い切る方法を持ち得ないが、そこに面白さを持つ可能性は想像できる。
そうでないなら、なぜ僕は面白いと感じるのか。

かもね

2006年3月13日 メモ
分かり易さを求め、表面だけで拒否反応を起こして分かり合うことはなく、見下す。
初めから低俗と言って相手にしないものに経験させて考え改めさせることは難しい。

文化をブンカにスポイルしているのではないか。

美意識が文化足り得る要因だというのなら、文化ではないのかもしれない。

しかし、其処に価値は見出せる。
この真実に変わりはない。

メモ

2006年3月1日 メモ
普遍的面白さとは何か。

設定と行動によるキャラクターの性格付け。
それが済めば、状況設定することで、そのキャラならどう行動するかのシュミレートが展開の運び方そのもの。
後は、感情移入可能なキャラクターであったりが噛み合えば面白い。
意図して気まぐれに見せる、意図せず気まぐれに見えるのとは大きく違う。
シュミレートが全体的に異常値を弾き出せば意図せず気まぐれに見えたり、違和感が出たりする。
正常の中にちょっとだけ異常値を混ぜてやれば、それが笑いに繋がったりもする。

画面構成やカメラワークや細かな動作等の演技付けに演者の演技が噛み合わされば、その作品は面白いはずだ。

メモ

2006年2月22日 メモ
バトルロイヤルinハーレムな作品について

・ハーレムの構築
色んな属性を持ったキャラクターが主人公と出会い惹かれていく。
ここまでは願望充足もののハーレム状態の基本だ。

・ハーレムの破壊
何らかの理由の為にハーレム参加者同士が戦う。
願望充足もの特有のドラマ性の無さを補完する役割を持っている。
と、同時にハーレムへの嫌気を程よく消化する。
さらにはドラマの為に主人公の自意識や男の主人公さえも必要としないという側面もありそうだ。
その場合は少女達が主人公の自意識を代わりに受け持っていることもある。

・まとめ
ハーレムのキャラに萌えても良し、破壊の際に生じるドラマを楽しんでも良い。
定番化したことを逆手に取ったハイブリットな作品。

メモ-竹○病-

2006年2月21日 メモ
・○田病
「機動戦士ガンダムSEED」「鋼の錬金術師」「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」「交響詩篇エウレカセブン」「BLOOD+」を参照。
描写とか見る限り、一つの共通点ではある。
居心地の悪い世界観とかも似てる。高尚そうにしてるけど、その思想が作品をつまんなくしてる。娯楽から故意に遠ざかっている。
まあ、色々ヤバイ。

どうにも上手く纏まらなかったけど、完結に言えば「共通点はあんたが関った作品は、出だしから修正をするまでのラグが積み重なってしまって泣き所になっているぞ。」と。
・思春期少年達
レントン=イケメン=イージーモード
ドミニク=非イケメン=ハードモード
見た目に差は無いが対応のされ方がまさにこれだ。

・思春期少女達
エウレカ=イージーモード対応
アネモネ=ハードモード対応
はっきりいって現実はこれがましなくらいにもっと露骨だ。

・ちょっとだけ人生の先輩
ホランド=自己承認有り
デューイ=自己承認なし
イケメンでも自己承認が得られてるかどうかで大きく変わる。

・注意点
物語上、それぞれは別個の存在であるが、それらは可能性としての一人の人間を切り取ったものであると言える。
基本的なことだが、どちらに感情移入しても良い。
多分、そういう作りにしてあるはずだ。

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